■収蔵資料紹介(82)
「和釘(わくぎ)」
夜久野町化石・郷土資料館 所蔵
大工仕事の部品のひとつに鉄釘があります。
現在使用されている鉄釘のほとんどは洋釘といわれるもので、金属製の平たい頭をつけた丸釘です。明治以降に西洋から輸入され、鉄線を材料とし機械で量産できることから一般的になりましたが、それ以前は日本在来の和釘が用いられていました。
和釘の歴史は古く、古墳時代に遡ります。大きさは様々ですが、断面は角形をしており、四角い頭をつけたものや片側に折り曲げたものが多く、ずしっとした重さが特徴です。材料は高純度の鉄で、鍛冶職人が一本一本手打ちで熱しては叩(たた)くを繰り返し、伸ばす工程で不純物を取り除き、四角柱に整えれば完成です。こうして、加熱・鍛錬した和釘は腐食や錆に強くなります。飛鳥時代に建立された法隆寺金堂で実際に使用が確認されている和釘が最も古いとされ、その歴史は優に1000年を超えています。この時代の釘は今もしっかりと部材と部材を繋(つな)ぎ留めていて、建物改修の際に再利用できるものもあるそうです。
写真(1)(本紙参照)の和釘は、夜久野町大油子の太田森(おだのもり)2号墳(古墳時代後期)から出土されたものです。埋葬された木棺に使用されたと推測され、錆びているものの和釘の特徴である四角い頭が残っています。
写真(2)(本紙参照)は、福知山市内に現存する神社の木材に打ちこまれている四角い頭の和釘です。古くからある神社や寺院を訪れると度々目にしますが、明治時代中期頃の段階で和釘から洋釘への転換が進んだと考えられていることから、建築年代などの情報を知る判断材料となります。
「千年の釘にいどむ」という小学5年生の国語の教科書に収載されたエッセーでは、四国の鍛冶職人・白鷹幸伯氏が奈良県の薬師寺西塔再建にあたり、古代の和釘を再現する過程と千年もつ釘作りに挑む姿が書かれています。現在、洋釘に比べて和釘の製作はわずかですが、伝統を守る上でも貴重なものです。
写真(1)(本紙参照)の和釘は夜久野町化石・郷土資料館に展示しています。ぜひご覧ください。
問合せ:文化・スポーツ振興課
【電話】24-7065【FAX】23-6537
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