福知山駅ができたのは、明治37年(1904)の11月。今月で120周年を迎えました。福知山駅は、地域と人々をつなぐ大切な存在であり続けました。毎日の通勤通学や旅の出発点として、多くの人々の生活の一部となっています。今月号では、皆さんと福知山駅120年の歴史を辿ります。
■福知山と私鉄
福知山への鉄道建設の背景には、舞鶴港と京都・大阪との連絡が経済上も軍事上も重要視されていたことがありました。舞鶴へ至る私設鉄道の計画が競うように乱立する中、明治26年(1893)政府は、京都から舞鶴をつなぐ京都鉄道と、大阪から舞鶴をつなぐ阪鶴鉄道の福知山までの建設を認可しました。
同32年(1899)阪鶴鉄道(現在のJR福知山線の前身)が先に大阪から福知山南口(内田町付近)間を開業。大阪までを約5時間で結び、1日7往復しました。
「阪鶴鉄道が駅に着くと、珍しいので大勢の人が弁当を持って汽車を見物に行った」という記録も残っており、人々の関心の的だったことが伺えます。
■福知山駅の誕生
福知山と舞鶴間の鉄道建設は、京都鉄道の園部以北の延伸を待っていましたが、資金難から進展していませんでした。やがて日露の対立が激化し、舞鶴に海軍の拠点が設置されると、政府は舞鶴への鉄道建設を急ぎ、京都鉄道から工事を引き継ぎます。昼夜を通して工事が進められ、わずか1年半という短期間で、明治37年(1904)福知山と舞鶴間が開通し、福知山駅(現在の福知山駅)が開業しました。併せて福知山南口駅と福知山駅間も延伸・接続し、大阪と福知山駅が結ばれます。同43年(1910)には園部と綾部間が開通。また、同45年(1912)には城崎までが全線開通し、福知山はほとんどの近隣都市と鉄道で結ばれました。
▽福知山駅の変遷
・明治32年
阪鶴鉄道≪現在のJR福知山線の前身≫の開業(大阪-福知山南口間)
・明治35年
官設鉄道、鉄道作業局
福知山出張所設置
・明治37年
官設鉄道が開通(福知山-新舞鶴≪現在の東舞鶴駅≫間)、阪鶴鉄道が福知山南口-福知山間を開通
福知山駅の開業
・昭和25年
全国27鉄道管理局の一つ
福知山鉄道管理局設置
・昭和29年
2代目駅舎 竣工
・昭和61年
国鉄(宝塚-城崎間)が電化開業
・昭和63年
宮福鉄道(現在の北近畿タンゴ鉄道)が宮福線(福知山-宮津間)を開業
・平成17年
3代目駅舎 竣工
駅の高架化
・平成27年
北近畿タンゴ鉄道宮福線がWILLER TRAINS株式会社に移管
・令和3年
北近畿初、自動改札機の設置。ICカードICOCAも利用できるように
・令和6年
福知山駅開業から120周年
■鉄道管理局の設置
福知山は各方面からの鉄道の結節点になっていたため、管理部が設置されていました。
戦後の機構改革で、昭和24年(1949)国鉄が公共企業体へと姿を変える際には、廃止の可能性が危惧されていましたが、存続を願う運動が展開され、最終的に、全27鉄道管理局のひとつとして福知山鉄道管理局が設置されます。
同じように管理部があった敦賀や姫路では管理局が設置されなかったことから、これは大きな出来事でした。その背景には、福知山が丹波・丹後・但馬・若狭の中央にあり、経済や交通の中心地となっていたことと、管理局の設置を地域が一丸となって陳情し続けたことがあります。
■2代目駅舎の誕生
多くの人が行き交うようになり、次第に福知山駅は、結節点の駅としては狭く不便になっていきました。
増改築を繰り返していたものの、思い切った改築が望まれ、昭和29年(1954)駅前広場の拡張工事とともに近代的な鉄筋コンクリートの駅舎へと生まれ変わりました。
■鉄道が支えた福知山
福知山鉄道管理局は京都府・兵庫県にまたがる北近畿の国鉄線444・8kmを管轄し、昭和40年頃には5700人以上の職員を擁していました。駅の周辺には鉄道病院や職員宿舎が立ち並び、職員やその家族が福知山の飲食店や商店街をにぎわすなど、鉄道関係者はまちの経済を支える一大勢力となっていました。
■市街地の鉄道を高架化
自動車が普及し、国道沿いの発展が進むと、新たな問題が浮かび上がりました。
広大な福知山駅が市街地の北と南を分断し、往来の不便さや踏切での慢性的な交通渋滞を生むようになり、まちの一体的な発展を阻んでいたのです。
今のままでは均衡のとれた都市の発展は難しいと、昭和57年(1982)京都府と市が連携し、鉄道の高架化と駅周辺の抜本的な区画整理を決定しました。
この事業は、平成26年(2014)まで、約35年間に渡る大事業となりました。
■120年経った今も行き交う人々を見守る
駅の高架化に併せて、福知山駅は3代目に。人の南北の往来が可能になり、利便性が高まりました。
延べ6・1kmに及ぶ線路が高架になり、もとあった9つの踏切はすべて廃止。市街地の南北をつなぐ4本の道路が新たに整備され、往来もとても便利に。駅には令和3年(2021)から自動改札機が導入され、切符を買わずに電車に乗れるようにもなりました。
120年経ち、姿は変わっても、駅は絶えず、行き交う人々を見守っています。
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