■「河守遺跡出土木簡」
福知山市教育委員会 所蔵
平成9年(1997)、大江町河守地区のほ場整備事業の実施に伴い河守遺跡の発掘調査が実施されました。
河守遺跡は由良川と宮川によって形成された標高9~10mの沖積地に位置し古代の土地区画制度である条里制遺構が残っている遺跡です。調査の結果、板材や杭を用いて補強した9世紀初頭の砂利敷きの畦道が確認されたほか、数多くの須恵器の破片とともに当時の田んぼ面と考えられる場所から墨書の残る木簡一点が出土しました。
出土した木簡は上下左右とも破損しているため本来の大きさはわかりませんが、長さ15・7cm、幅2・9cmを図り、目視ではうっすらと文字が書かれている様子が観察できました。
判読のため赤外線カメラで墨書を撮影してみると「津丸一段」の四文字が浮かび上がりました。赤外線は墨に含まれる炭素に吸収され黒く映ることから、墨書の確認には赤外線カメラは欠かせないものです。
木簡は、その出土状況から、「津丸」は名前(「丸」は「麻呂」の簡略化か?)、「一段」は田んぼの面積(一反)を表しているものと考えられます。その用途は上下左右破損し本来の形状がわからないため不明ですが、ひょっとすると津丸という人物の耕作地(一反)を示す立て札のようなものだったのかもしれません。
また、この木簡の出土により、9世紀初頭、河守地域に文字が書ける人がいたことがわかります。この時期、文字が書ける人々は一般的に僧侶・役人などごく限られた人だけであることから、古代の寺院や役所などが付近にある可能性が十分考えられ、今後の発掘調査次第では、その解明がなされる時が来るかもしれません。
古代における文字関連資料の出土が福知山市内で極めて少ない中、河守遺跡出土の木簡は、地域の様子を探るうえで欠かすことのできない貴重な資料です。
問合せ:文化・スポーツ振興課
【電話】24-7065【FAX】23-6537
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