◆「古(いにしえ)からの地名」
神埼は千年以上前からの地名がよく残っている全国でも稀(まれ)なところです。
千代田町に「黒井(くろい)」という地区があります。現在は水田が広がる田園地帯ですが、二千年前の弥生時代は、この近くまで有明海の海岸線が来ていた所で貝塚などの遺跡が出ています。吉野ヶ里歴史公園の古代の森体験館に展示してある長さ約4mの見事な弥生のハシゴは、この黒井地区の水田を整備する際に当時の溝の中から出土したものです。
「黒井」という地名の由来は以前、地元では「くれい」と言っていましたが、公(おおやけ)の領地「公領(くりょう)」が「くれい」になったと思われます。律令の時代、神埼は国の領地として開発が早く進んだ所ですが、その後さらに南の方も開発されていき、その一部は私領として豪族の荘園になっていますから、その頃に公の荘園と豪族の荘園を分けるために公の領地「公領(くりょう)」というようになったのでは…と推察されます。
律令制度の名残としては「…ヶ里」という条里制もよく残っています。税なる米をきちんと取るために何条、何里、何坪、何反…と田んぼを区画した制度は元々数字で表していましたが、時代が進むにつれて周辺の環境等が頭につき変化していきました。「駅ヶ里」や「石井ヶ里」、「平ヶ里」など今も神埼町に多く残っていますが「本堀」「永歌」「的」という地名も、以前は下に「ヶ里」がついていました。
そして「条」が唯一残っている所は、黒井の近くの「十条」だけです。残っていて本当に良かったと思う地名です。秋が進んで脊振山の上の青い空が高くなりました。広々とした平野では、豊穣の稲田の上をトンボが飛び交っています。
10月は神の月…千年も前の古い地名が今も残り、息づいている豊かな神埼をゆっくり辿(たど)ってみませんか。
文化財観光案内専門員 執行真知子
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