◆「懐かしい時代」
現在、市内にはさまざまな今風の住宅が建っています。近年の家は窓が小さくて少なく、暑い外気を入れないでエアコンで室温を調節する家屋は環境の変化を感じます。
県内の昔の住居は、風を取り込んで通気を良くした家が多かったように記憶しています。寄棟造りが多数ありましたが、神埼市の平野部にはクド造り、神埼北部では鉤屋(かぎや)造りの家も近年まで残っていました。共通しているのはどの家も土間が広く、南北に風通し良く、雨の日や夜間など屋内での作業に適した家屋でした。
長崎街道神埼宿などの街道筋はほとんど妻入りでした。間口で税金が決まるので、街道に面した間口の幅は狭く、逆に奥行きは長く、深く…ひんやりとしたタタキの土間は裏まで貫通していました。
家(エノチ)に関する言葉もいろいろあり…「キンド、カド、カドンクチ、ニワナカ、イタシキ、ナカエ、ザシキ、ナカザ、ネドコ、カマヤ、ウランクチ…」
こんな言葉を普通に使っていた時代は、今よりもっとお互いに助け合った生活をしていて…。
カセイ(加勢)は、お互いの仕事などを手助けする相互扶助として行われ…。
イイ(結い)は、力を貸し合うことを約束しての労働力交換で、神埼では手間換え(テマギャア)と言って、田植えや稲刈りの時は必須でした。
モヤイ(モヤア)は、自由な意思によって共同でするもので、その昔は水車、風呂、井戸などがありました。
小川に高低差がある神埼町の北部はモヤイ水車がいくつもあった地域で、共同で自家用の精米などを行っていました。共同風呂も戦後まで残っていたようです。
なんとなく懐かしい人たちや懐かしい風景が目に浮かぶ…。そんな心地になる昔のお話でした。
文化財観光案内専門員
執行 真知子
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