1954(昭和29年)〜1963(昭和38年)昭和29年4月1日に、鳥栖町、田代町、基里村、麓村、旭村の2町3村が合併して鳥栖市が発足。令和6年4月1日で市制施行70周年を迎えました。『市報とす』では、今号から数回に分けて、当時の広報紙で鳥栖市の歩みを振り返ります。
◆第12号〔昭和31年3月1日発行〕
電話の自動交換機の紹介記事。電話をかける際、以前は『電話交換手』という職業の人が手作業で回線をつなぐことで、相手と話すことができました。現在のように、電話番号を入力すると相手の電話に直接つながるようになったのは、この自動交換機が登場してからです。同記事内では『先ず受話器を外して耳におあて下さい』など電話のかけ方も紹介されています。
◆第41号〔昭和33年10月16日発行〕
ミルク給食に喜ぶ中学生。1958(昭和33)年10月から市内の中学生にミルク給食を開始。『ミルクで元気な中学生に』をモットーに、生徒たちは毎日大喜びだったようです。
◆第42号〔昭和33年11月10日発行〕
1958(昭和33)年12月からの『メートル法』実施のお知らせ。現在は、長さはメートル、重さはグラムのように単位がほぼ統一されていますが、以前は、長さは『尺』『間』『インチ』『ヤード』など、重さは『オンス』『匁(もんめ)』『貫』など単位がさまざまで、計量も複雑でした。
◆号外・町名改正特集号〔昭和34年3月25日発行〕
新旧町名比較表と町の境界図。『県』『市』『町』などと同じく区画の名称の一つで使用していた『大字』の廃止と『町名、区域の改正』が、1959(昭和34)年4月1日に実施されました。大字は、市制施行前の1888(明治21)年のものが残っており、範囲が広すぎる、大字の区域内に他の大字の一部が飛び地として残っているなどの問題がありました。また、町名の改正は、2町3村の合併で発足した市の一体化も考えて実施され、現在ある町名のうち、当時はまだない町名もありますが、この時に決められた町名が現在も使われています。
◆第61号〔昭和35年5月20日発行〕
1960(昭和35)年4月に完成した四阿屋(あずまや)のえん堤。『えん堤』とは、土砂を受け止めて、下流に流れる土砂の量を調整する施設で、これにより水域が広くなり、こどもたちが押しかけてにぎわいをみせ始めました。しかし、当時はえん堤上流の水深が2〜3メートルあり、注意喚起も頻繁に行われていました。
◆第77号〔昭和36年8月15日発行〕
水道料金がメーター制に変わるお知らせ。『5人までの世帯は1カ月200円』など、以前は定額制でしたが、メーター設置により使用水量に応じて料金が計算されるようになりました。また、それまではどこか一軒の水道工事をすると、その地域全家庭の給水が中断されていましたが、メーターと一緒に『止水栓』が付けられたことで、これも改善されました。
◆第78号〔昭和36年9月15日発行〕
西鉄バス鳥栖営業所開設のお知らせ。同営業所は1961(昭和36)年8月30日に開設し、同年9月1日から新路線の追加など、新ダイヤでの運行が始まりました。手描きの路線図が時代を感じさせます。
◆第95号〔昭和38年2月1日発行〕
1963(昭和38)年1月15日に行われた第1回祝成人ロードレース大会。現在は17種目ありますが、当時は1種目(10キロマラソン)のみで、中学生を含む26人が参加しました。
◆この時期の主なできごと
市立図書館特別企画『おぼえてますかあのころの本』
当時話題だった本や出版された本を市立図書館に集めて展示します。5月は、1954年から1963年です。
■鳥栖市発足
1954(昭和29)年4月1日に鳥栖市が発足。その半月前の同年3月16日、現在の佐賀銀行鳥栖支店の場所にあった鳥栖町役場で『鳥栖市設置申請調印式』が行われました。
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