■青蓮寺(しょうれんじ)の半鐘(はんしょう)
丹波市文化財保護審議会委員 山内順子
写真は青蓮寺(氷上地域横田)の半鐘です。半鐘とは、おおむね鐘高が一尺七寸(約56cm)以下の小型の鐘のことです。鐘高がそれ以上ある大型の鐘は梵鐘(ぼんしょう)と呼びます。
鐘に刻まれた銘により、宝暦(ほうれき)12年(1762年)に柿芝村(かきしばむら)の鋳物師足立家信(いえのぶ)が鋳造したことがわかります。柿芝村は優れた鋳物師(いもじ)が居たことで有名でした。足立家信は、ほかにも宝暦3年(1753年)に氷上地域上新庄の天満神社、宝暦11年(1761年)に氷上地域三方の常照寺(じょうしょうじ)の梵鐘を鋳造していた記録があります。
記録と書いたのには理由があります。昭和17年の戦時下、鐘は金属回収の対象となってしまい、梵鐘そのものが現在存在しないからです。しかし、葛野尋常高等小学校(現在の市立西小学校)の校長であった広瀬武夫氏が、献納梵鐘の中には後世の参考となるものも多くあるので、葛野村から供出のために集められた梵鐘の銘を拓本にし、その内容を「葛野村誌」に掲載したので、失われた梵鐘の鋳造年や作者を知ることができました。
多くの梵鐘が失われた一方で、残された半鐘もある事がわかってきました。
青蓮寺の半鐘は、最近火の見櫓(やぐら)からおろしたところ、寺名が入っていたので返却されたとのことです。同じ理由で、文政13年(1830年)に柿芝の足立家国が鋳造した半鐘も常照寺に返ってきました。
戦時下の苦難を乗り越えて現存する半鐘を、江戸時代の名工が鋳造した宝物として、また平和の象徴としても大切に伝えていきたいと思います。
問合せ:社会教育・文化財課(山南庁舎内)
【電話】70-0819
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