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人権シリーズ350号

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兵庫県市川町

感性豊かな人・まちづくりをめざして

■反戦の絵画「ゲルニカ」
【東京駅近くにあるゲルニカ】
左の画像はピカソの絵画「ゲルニカ」の複製陶板画で、縦約3.5m、横約7.5mの巨大なものです。これは原画と同じサイズで、ピカソの遺族の許可のもと忠実に複製されています。もとは「箱根彫刻の森美術館」の蔵品でしたが、現在は東京駅丸の内出口の横、オアゾという施設にあり、この前を毎日多くのビジネスマンや観光客が行き交っています。
(※画像は広報誌20Pをご覧ください。)

【ゲルニカとは】
1937年、スペイン内戦の際にスペイン北部の都市ゲルニカにドイツ空軍が爆撃を行いました。それは世界初の一般市民への無差別空爆でした。ピカソはその殺戮への抗議の意思を込めて巨大な絵画を作成しました。それがゲルニカです。
1937年のパリ万博で展示されましたが、当初の評判はあまり良くはありませんでした。ピカソ独特のこの表現に対し、醜悪だという厳しい批判すらあったのでした。人々の多くは、誰もが見て理解できる写実的な表現を望んでいたのでしょう。ところが、第二次世界大戦後にゲルニカへの評価は一気に上がりました。今やゲルニカは二十世紀を代表する最高傑作とされています。

【一部を拡大表示】
ゲルニカは空爆の被害者を描いています。その一部分を拡大表示したのが右画像です。これは全画面の一番左端の「泣く女」と呼ばれる部分で、母親が息絶えた我が子を抱いています。この姿は西洋美術伝統のピエタを踏まえていると言われています。ピエタとは、十字架から降ろされたキリストの遺骸を抱く聖母マリアです。
技法は、ピカソ独自のキュビズムというものです。多視点から描き大胆に変形させ、母親の慟哭の激しさを表現しています。死んだ子どもの虚無感もよりいっそう強調されています。ピカソの絵は、一見子どものなぐり書きにも見えますが、その表現は緻密に計算されたものです。
(※画像は本紙P.20をご覧ください。)

【反戦の象徴として】
二度の世界大戦への反省から、ゲルニカは反戦の象徴絵画としても重要な存在となりました。第二次世界大戦後、ピカソ自身の監修で、ゲルニカ原画と同サイズ・同図案でタペストリー(織物)が制作されました。それがニューヨークの国連本部にあります。そのタぺストリーは安全保障理事会の議場前に掲げられています。ちなみにタペストリーは三枚製作されており、残る二枚のうちの一枚はフランスの美術館に、もう一枚は日本の群馬県立近代美術館が所蔵しています。
ゲルニカは大作ですが、ピカソは他にも反戦の小品を作成しています。「平和の白い鳩」です。ゲルニカとは全く違うシンプルでかわいい鳩のデザインです。1973年に亡くなるまで多くの鳩の絵を残しており、これによって「平和=白い鳩」というイメージが世界中に定着したのでした。
※鳩の絵の画像は、ここでは紹介できません。著作権は作家の死後70年まで保護されるからです。ゲルニカの紹介画像については、原画でなく東京の公共展示物を用いました。

【終わることのない戦禍】
ゲルニカ空爆へのピカソの抗議もむなしく、その後の戦争はますます激化しました。無差別空爆はより大規模になり、日本では太平洋戦争で国内の主要都市ほぼ全てが空襲を受けました。そして広島・長崎への原爆投下となりました。
現在も戦乱は収まりません。ピカソがゲルニカで描いた「子を抱いて泣き叫ぶ母親」の姿、これはパレスチナのガザ地区では現実の問題です。戦争による一番の犠牲者は、何の罪もない一般市民たちです。

問合せ:生涯学習課 人権教育啓発係
【電話】26-0001

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