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人権シリーズ353号

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兵庫県市川町

感性豊かな人・まちづくりをめざして
《部落差別の起源中学校の教科書より》

◆河原者について
みなさんは、部落差別の起源をどう習いましたか?「江戸時代の身分制度が起源であって、士農工商のそのまた下に差別を受ける人がいた」と、習った方が多いと思います。
今の教科書では、士農工商という言葉はありません。「江戸時代の身分は、武士・百姓・町人で、その枠外に差別を受ける人がいた」という記述です。そして、差別の起源についてはさらにさかのぼり、中世(平安˜室町時代)の河原者(かわらもの)について記載しています。以下に中学校の歴史教科書の記載内容を紹介します。

◆河原者とは
左の写真は銀閣寺です。室町時代、8代将軍・足利義政が京都東山に建造しました。
そして、この美しい庭園を造ったのは、善阿弥(ぜんあみ)という庭師の一族です。善阿弥は河原者です。
河原者とは、平安時代中頃から現れます。その多くが河原やその周辺に居住していました。
室町時代には死んだ牛馬の処理と皮革加工、井戸掘り、芸能、行商、造園などに従事していました。芸能というのは、後に能・歌舞伎に発展していくものです。造園は、善阿弥のような庭師です。
上の写真は有名な龍安寺の石庭です。日本が世界に誇る名庭園の多くは室町時代に造園されています。それに関わっていたのが、河原者と呼ばれた人々です。芸能にしろ造園にしろ、現代にまで伝わる芸術・文化の担い手であったのです。
その一方で、彼らは差別を受けていったのです。

◆差別の根源「けがれ意識」
なぜ、差別を受けるのでしょう。それは日本独特の「けがれ意識」が根源にあります。死や血を「けがれ」として扱うのは、現在でも残っています。葬式を出した家は祭りに参加しない。大相撲では女性は土俵に上がれない(女性の月経と関係します)。このように、神事に関係する部分に見られます。この「けがれ」について、中学校教科書では次のように説明しています。教科書より引用します。

昔は、天変地異・死・出血・火事・犯罪など、通常の状態に変化をもたらす出来事に関わることを「けがれ」といいました。「けがれ」を恐れる観念は、平安時代から強まり、「けがれ」を清める力を持つ人々が必要とされていきました。しかし一方で、清める力を持つ者は異質な存在として、差別を受けるようにもなりました。河原者もそうした差別を受けた人々でした。彼らは井戸掘りや死んだ牛馬から皮をとってなめすことも行っていました。彼らは恐れられましたが、その仕事は社会にとって必要であり、すばらしい文化を築いていきました。なお「けがれ」は、近代以降に生まれた不衛生という考え方とは異なるものです。
《帝国書院社会科中学生の歴史より》

◆江戸時代に差別の強化
室町時代の身分は流動的でした。戦国の世には半農の足軽から天下を取った豊臣秀吉も現れました。河原者も身分として固定したものではありませんでした。
江戸時代になって、幕藩体制が整うにつれ、身分が固定化されました。河原者は、皮革加工、警備、草履や雪駄作り、竹細工、医薬業、城や神社の清掃、犯罪者の捕縛や行刑、芸能などに携わり、「えた・ひにん」と呼ばれました。百姓や町人とは別の身分として位置づけられ、それにより差別はより強化されたのです。
これが、現在の中学校での教科書内容です。

問合せ:生涯学習課人権教育啓発係
【電話】26-0001

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