■卒業生に聞いてみた!
ケアステーションかんざきってどんなところ?
平成12年に設立されたケアステーションかんざきには卒業生がたくさんいます。そこで、当時の思い出や利用のきっかけなど、西本先生とともに卒業生の皆さまにお話を伺いました。
■今のお仕事は?
笹木:僕は今「多機能型事業所ひと花」という所でお菓子の箱の梱包を行ったあと、その上に掛け紙をクルっと貼る仕事をしています。
立石:私は市川町にある「オアシス甘地」という介護センターで、お風呂洗いや洗い物などをしています。体力を使う仕事で大変ですが、毎日休まず働いています。
■今までの思い出は?
笹木:僕は旅行が楽しかったです。高校生の時、修学旅行でディズニーランドやお台場のテレビ局に行きました。2泊3日の旅行でしたが、写真を撮ったりしてとても楽しかったです。最近も旅行に行くなど、さまざまな場所に行くのは大好きです。
立石:私はあまり覚えていませんが、小さい時は「おかあさんといっしょ」などのテレビを観て、歌を歌ったりするのが大好きな子だったと母から聞きました。
笹木:僕もしまじろうや、戦隊もののテレビが好きでした。今も大好きです!
■ケアステーションかんざきでの思い出は?
笹木:僕は体操が楽しかったです!曲に合わせて踊る運動体操が楽しくて好きでした。大人になっても色んな曲に合わせて踊っています。
立石:私はみんなと遊んだりしたことが楽しかったです。
西本:このみさんはケアステーションかんざき(以降:ケアステ)に来たらとても元気な子でしたね。普段の学校では大人しいと聞いていましたが、ワイワイ楽しそうにされていました。一方で貞虎さんはとても真面目。お部屋が騒がしくなるとしんどくなるので、自分で上手に距離をとり、みんなと少し離れた場所でしっかりと話を聞いて参加していました。自分の決めたことはしっかり最後までやっていました。
2人とも素敵な大人に成長しましたね。ケアステとしても卒業生が身近なところで活躍している姿を見る事ができ、とても嬉しいです。
■利用のきっかけ
笹木母:子育て学習センターに通っていた時、お兄ちゃんと比べると発育があまりに遅い気がして気になったんです。そこで相談した時に「専門の施設があるから一度行ってみたら?」と勧められたのがきっかけです。
立石母:近所に養護の先生をされていた方がおり、その方にご相談したのが始まりです。このみが学校へ通い始めた頃は特別学級がなく、普通学級しかありませんでした。本当はみんなと一緒に勉強したいけど難しい現状。近くに療育施設がなく、初めは姫路の施設まで通っていましたが、平成12年にケアステが設立されたことをきっかけに、こちらへ通うようになりました。
当時通っていた南小田小学校では同級生が4人しかいない小規模の学校でした。優しさに包まれていた学校でしたが、友達とふざけあったり話をすることが出来なくて。ケアステに来たら気軽に声をかけてくれる子や一緒に話が出来る先生がいることで嬉しく、週1回学校に迎えに来て頂き通っていました。高校からは兵庫県立姫路特別支援学校(以降:支援学校)に行きましたが、毎日楽しく学校へ通うことで自信に満ち溢れていましたね。
笹木母:貞虎は中学校から支援学校に行きました。小学校の頃はとても大人しくて友達にいつもお世話してもらっていた我が子が、支援学校ではお世話係をしているって聞いてビックリ。自ら進んで動いていたんですよ。
立石母:うちもそうでした。ケアステや支援学校の中で切磋琢磨し、褒めてもらうことが増えたことで自分の自信に繋がり、色んな人と助け合った事があって介護に関わる仕事を選んだんだと思います。
笹木母:やっぱり同じような境遇の中で育つ方を選ぶか、もしくは地元のお友達と中学校卒業まで頑張るかの選択の見極めが大事ですよね。うちの子は小学校の時、友達っていう概念がありませんでした。「友達は?」と聞くと「貞虎くん」と言うんです。支援学校に行くことで友達の意味が徐々に分かるようになり、「友達は?」と聞くと「〇〇くん!」と名前が出るようになりました。さまざまな選択がある中でどれが正解でどれが不正解かは分かりませんが、貞虎にとってはこの選択で良かったのかなぁと思います。
■今のお子様を見て思う事
立石母:子育てに一生懸命になりすぎてとてもプレッシャーをかけてしまった時もありました。ケアステに通い始めて、子どもを見てもらいながら、親も悩みを相談することで気付かされることや、他のお母さん方と話す機会など気が楽になる部分もありました。今はお互いに介護施設で働いているので、仕事の相談はもちろん「このみも頑張っているから私も頑張らないとあかんな」という話をすることもあります。
いつも私の誕生日にはお母さん生んでくれてありがとうってLINEをくれますし、自ら洗濯物干しやごみ捨てなども手伝ってくれるので助かっていますね。仕事も休まずに行くんです。
笹木母:手をつなぐ育成会※1の講演会で「余暇を楽しむ」という事はすごく大事だと聞いてから、水が大好きだったこともあって幼稚園のときから今もスイミングを続けています。「タイムを測ってください」と自分で言って、5分かけて個人メドレーを泳いだりと、楽しみながら生活しています。
幼い頃はなかなか話すことが出来ず「お母さん」って言ってくれるのかなぁ…というところから始まった子育てでした。徐々に言葉が出るようになって片言で自分の考えやイエスノーも言えるようになりましたが、まだまだ本人の心境を聞くのは難しいです。私が本人の表情を見てこうした方がいいかなぁと考えて行っても、それが本人にとって良かった事なのか悩むこともあります。今も悩みを抱えているかもしれません。ケアステから始まり、これまで色んな事をさせてきました。やりすぎたかなって思う時もありましたが、今思えば全てが役に立っているのかなぁと楽しく働きながら頑張っている姿を見て思いますね。
※1 手をつなぐ育成会とは?
昭和30年、全国で知的な障がいのある我が子の幸せを求めて、3人のお母さんが同じ悩みを抱える親たちに呼びかけて「親の会」が設立されたのが始まりです。
県でも昭和31年に設立され、今では県内どの市町にも設置されています。「神河町手をつなぐ育成会」でも、親子・親同士の交流会など定期的に行っています。
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