文化財や当時の痕跡が見られる場所をブラサトルこと和田 哲(わださとる)さんと巡り、札幌の歴史や成り立ちを紹介します。
■ななめ通り(東区)
▽碁盤の目を斜めに貫く道
市内中心部の北7条東2丁目付近から北東方向に斜めに走り、丘珠や篠路を経て石狩に通じる道道花畔(ばんなぐろ)札幌線は、「ななめ通り」とも呼ばれています。「道を碁盤の目のように整備した開拓使の都市計画よりも前にできた、元村街道とも呼ばれていた道なんですよ」と和田さん。
現在の北区や東区に当たる場所の大半は当時、ぬかるみがひどく、歩くのが難しい状態でした。その中で、かつての伏籠(ふしこ)川の自然堤防沿いを人が歩いているうちにできた道が歩きやすいことに幕臣の大友亀太郎(おおともかめたろう)が目を付け、慶応2(1866)年に整備に着手しました。
▽タマネギをきっかけに栄えた一帯
農地として整備されていたなめ通りの一帯は、明治11(1878)年、札幌農学校の教師だったアメリカ人農学者がタマネギの栽培方法を伝え、収穫に成功したことをきっかけに発展しました。和田さんによると「ななめ通りは、日本で初めてタマネギが出荷された時に使われた道だといわれている」のだそう。生産されたタマネギは、道外にも販売され、ななめ通りはタマネギを積んだ馬車が行き交い、たくさんの飲食店や馬具店が軒を連ねてにぎわいました。現在も、細い道の両側にはいくつもの商店が店を構えているほか、市内では珍しい大きな山門がある大覚寺なども見られ、街並みの変化を楽しめます。
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