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文化財のひろば・シリーズ174

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北海道森町

■栗が繋ぐ町の歴史
森町の名称はアイヌ語の「オニウシ」を由来とする名前で、「木のたくさん生えているところ」を意味します。どんな木が生えていたのかというと栗の木だったと考えられています。
森町史では明治時代の始めころまで町内の海岸線に栗の木が群生していたことが書かれていますが、その歴史は古く、町内では縄文時代からその利用が確認されています。
森川貝塚からは炭化した栗が出土していたり、鷲ノ木遺跡など複数の遺跡で当時の花粉が検出されたりしているので、縄文時代の人々もよく利用していたことでしょう。
腐りにくく加工しやすい栗は食べるだけではなく、建材としての価値も高く、明治から昭和初期にかけて海の道として利用されていた森桟橋にも橋脚の部材として町内の栗の木等が用いられていました。
町として発展していくにつれて木は伐採され、次第にその数は減ってしまいますが、青葉ケ丘公園には昔からの栗が残されています。
公園内には100本以上の栗が群生しており、そのうち約50本は樹齢200年を超えると推測される老木です。この栗は市販のものとは異なり、やや小粒な実をつける山栗の一種で「茅部栗」と呼ばれています。
北海道で自生している栗は珍しく、道南の自然を特徴づけるものであることから「茅部の栗林」として昭和43年(1968年)1月18日に北海道の天然記念物に指定されています。今でも栗の木は町の木として皆様に親しまれていますが、そろそろ栗拾いができる季節も近づいてきました。縄文時代からこれまでの町の歴史を伝える大切な存在ですので、栗を拾いながら町の歴史にも思いを馳せてみてはいかがでしょうか。

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