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鰊御殿とまり ごてん 令和6年6月号

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北海道泊村

■野菜作りと薬
鰊御殿とまり館長 増川 佳子

水仙、芝桜、チューリップ…。花壇や道端に明るい色合いの花々が咲きそろいました。野菜や花の苗木が店頭に並び、近所では畑仕事が始まりました。雑草のない真っ黒な畑に次々に植えられた苗は、初夏の日差しの中で目を見張るほどの勢いで大きくなっています。「上手だなあ。」畑仕事初心者の私は毎年感心しています。
海岸線に山々がせり出した泊村は、平らな土地がとても少ない地形となっていますから、農業はそれぞれの地区の山側の傾斜地を開墾して行われてきました。ほとんどが兼業農家で、漁業や炭鉱に従事する家庭が多かったようです。ただ、大人数の出稼漁夫を雇っていた鰊漁の網元の中には、現在の共和町発足地区に農場を持って経営する人もいました。鰊漁の時期の日々の食事には多くの作物が必要だったのでしょう。『鰊御殿とまり』に掲示している昔の写真の中に、その当時の農地が写っているものがあります。山々の麓や丘陵のいたる所に畑が見られ、驚かされます。便利な機械のない時代(当時使われていた農機具も展示しています。)の人々の努力に頭が下がります。泊村史に明治43年の農作物の資料がありました。数多くの種類の野菜が植えられていたことがわかります。

○雑穀:133.4反
○馬鈴薯:104.1反
○大豆:83.5反
○そ菜(野菜):74.6反
○裸麦:63.8反
○小豆:47.5反
○豌豆(エンドウ):21.4反
○大麦:6.5反
○菜種:2.7反
○苹果(リンゴ)
○梨
1反=300坪

さて、『川村家番屋』の家族の間には“富山の配置薬”の箱があります。子どもの頃、「薬売り」のおじさんが家々を回っていたのを思い出します。今は車に乗って回っていますが、50年前はバスで来ていたのでしょうか。薬が入った大きな柳行李を背負ってゆっくりゆっくりやってきました。柳行李から出された薬(赤玉、ケロリン、頓服、赤チンキなど)が、薬箱の薬と取り換えられる様子が楽しくてじっと見守っていました。帰り際に手渡された紙風船が懐かしいです。
この“富山の薬売り”ですが、調べたところ少なくとも江戸時代頃には、北海道の松前藩内で商売が始められていたという記録があります。江戸時代、富山県域が蝦夷地からの海産物を運んだ北前船の寄港地を多く擁していたことに端を発するといいます。蝦夷地から昆布や鰊などを積んだ北前船が寄港して荷を下ろし、越中富山からは米を中心に、酒、醤油、“薬”などが積み込まれました。その大きな担い手だったのが越中の廻船問屋で、そこには富山の薬売りが深く関与していて、薬業で財を成し北前船の船主になった例は珍しくないといいます。北海道と富山県とは古くから深い繋がりがあり、鰊や北前船のおかげで、泊村も“薬”の恩恵をいち早く受けることができたことがわかります。

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