■連載159
仕事について考える
稚内大谷高等学校校長 平岡祥孝
短いとは言え夏本番を迎える時節となりました。心に潤いをもたらすためにも、美しい十勝の自然の恵みを満喫しながら、ゆったりと時間消費を楽しみたいものですね。
さて私事で恐縮ですが、さる4月に稚内商工会議所主催による、新人・若手職員の育成・定着率向上に向けた「人材マネジメントセミナー」の講師を担当致しました。講演は、管理職がいわゆるZ世代の若手職員に対する教育・指導・支援のあり方を考える内容でした。
最も重要な項目は、やはりコミュニケーションの取り方でした。組織で仕事をする者誰しもが、コミュニケーションは大切であると言うでしょう。それゆえ、コミュニケーションスキルを磨くことが叫ばれています。けれども、上司と部下のコミュニケーションにおいては、まず上下関係という力学が作用することを念頭に置く必要があるでしょう。
あくまでも私見ながら、失敗を極端に恐れる若手社員が仕事上失敗を犯した場合を事例として考えてみたいと思います。部下が仕事で失敗したときに、助言や指導をする上司像が一般的です。耐性が弱くなっている若手に対して、感情に任せて怒鳴り散らすようなことや、責任を押し付けるだけで無視するような態度を見せることは、上司として決してあってはならないことです。なお余談ですが、パワーハラスメントについて、頭でわかっていても、心が納得していない時代錯誤の管理職は未だ少なからず。
失敗直後の部下は心理的に萎縮していると推察します。そのようなときに、いくら適切な助言をしたところで、果たして部下の心に届いているでしょうか。私は甚だ疑問です。
木目細かい指導や助言をしたとしても、さらに自信喪失に陥ったり、誤解や曲解をされて反発されたりする危険性を孕んでいると言っても過言ではありません。
「原因があるから結果がある」という原理に基づくならば、当然のことながら、上司は失敗の原因を把握し、その解決の方法を持ち合わせることが求められます。上司たる所以はそこに求められます。問題発生時には何故失敗したのかを過去に遡って原因を究明し、今後どのように改善や修正をしていけば失敗を防げるかという過程を、本人自ら考えて取り組むように誘導していく方が成長すると、私は考えます。もちろん責任は直属の上司が取るべきものであり、部下を守ることも上司の役割の一つではありませんか。
いささか楽観過ぎるとの批判を承知の上で言うならば、部下自身が自らの課題に気付いて、試行錯誤しながら修正や改善に取り組み過程を通して、自ら主体的に成長の糧を掴む道が開けていくと、私は考えるのです。自分を成長させるために働くことが、組織のために働くことに繋がり、結果的に社会のために働くことになる。皆さん、如何でしょうか。
減点主義から脱却しなければ、マイナス情報や失敗あるいは不祥事が隠蔽される恐れがあります。マイナス情報や悪い報告も含めて、部下が上司に話すことが出来る状況を作り出すためには、上司から積極的に部下に話しかけ、人間的に信頼関係を築く努力が必要不可欠です。人材の成長には時間がかかります。「組織には人材という含み資産がある」という言葉を聞いたことがあります。この含み資産の拡大なくして、組織の成長は無いのでは。
▽ひらおか・よしゆき
元札幌大谷大学社会学部教授。英国の酪農経営ならびに牛乳・乳製品の流通や消費を研究分野としている。高校生・大学生の就職支援やインターンシップ事業に携わってきた経験から、男女共同参画、ワーク・ライフ・バランス、仕事論、生涯教育などのテーマを中心に、講演やメディアでも活躍。
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