主人は北広島市のリハビリ施設に入り、私は村の介護施設で働き始めました。慣れない仕事と不規則な勤務時間、仕事が休みの日は主人のいる施設へ通う日々で、幼い息子の面倒は娘に頼むことがほとんどでした。
娘は小学生の時、水を飲んでも吐く状態になり、学校へ行けなくなってしまいました。娘を病院に連れていくと、「なぜこうなったのかお母さんが一番よくわかっているでしょう」先生に怒られました。娘が話しかけても、「疲れているから後で」こういうことが多かったように思います。主人の心配と自分の仕事のことで頭がいっぱいになり、娘や息子と過ごす時間がなくなっていたことに気づかされて、とても反省しました。
小学生になった息子は学校でいじめにあいました。「お前のお父さん、あたまパーだもな、お前と遊んだら俺たちの頭が変になる。遊んで欲しかったら、お金を持って来い」ある日は帽子を川に投げ捨てられ「川に入れ」と泣いている息子の背中を押しているところに地域の方が通りかかり、学校に連絡してくれて、間もなくいじめはなくなりましたが、小さな息子の心には大きな傷が残りました。
娘は看護師になりたいという夢を持っていました。でも、生活のために私が時間の不規則な介護施設で働いていて、幼い息子は娘に世話してもらうことが多く、夢は諦めて真狩に残ってもらいました。娘には本当に申し訳ないことをしたと思ってます。でも、当時の我が家にはこの選択しかありませんでした。
あの日事故に遭わなければ、息子は学校でいじめられることもなかったと思います。もし事故に遭っていなければ、娘は、夢の看護師を諦めることはなかったでしょう。あの日事故に遭わなければ、主人の夢もなくなることはなかったでしょう。事故さえなければ、家族にも夢がありました。その夢もどこかへ行ってしまいました。今でも1月17日が来ると胸が苦しくなり鳥肌が立ちます。主人の悔しい思い、家族の辛い日々はどこにぶつけたらいいのでしょうか。主人にも非があったかもしれません。でも、逃げるという行為は許されることではありません。
ひき逃げ犯のことを一日たりとも忘れたことはありません。なぜこうなったのか知りたくて何度も警察へ行きましたが納得できる説明は何ひとつなく、今に至っています。私たちが死を考えるほど辛い日々を過ごしているのに、何の制裁も受けず、時効によって守られて暮らしていると考えるだけで胸が張り裂けそうになります。
事件後、警察官に加害者も苦しんでいると言われましたが、私は今もその言葉が理解できずにいます。主人が事故に遭った当時、ひき逃げ事故の時効は5年でした。その後、被害者の会の活動から時効は7年になりましたが、私たちは納得していません。時効ってなんでしょうか。加害者を守るためなのでしょうか。被害者の会はこれからも時効廃止を訴え続けます。
主人は2017年6月21日、体調を崩して2日目で亡くなりました。
最後に、ハンドルを握るということは命を握っているのと同じです。自分の人生をなくすような被害者、加害者にならないように、悲しい思いをする人を作らないように、ハンドルを握るようになったら安全運転を心がけてください。事故を起こさないことが一番ですが、もし、事故が起きてしまったら、真実を伝える勇気を持ってほしいと願います。交通犯罪者にならないように気を付けてハンドルを握ってください。
つたない私の話を最後まで聞いていただいき、ありがとうございました。
■講話を聴いて、高校生の感想
・命の大切さ、事故の恐ろしさを改めて感じました。
・事故はいつ起こるかわからない、今の生活は当たり前ではないと感じました。
・自分が知らないだけで、このような悲惨な事故がたくさん起きていると知りました。
・被害者家族に起きた変化、経験が恐ろしくて泣いてしまいました。
・免許を取ったら安全運転と「責任」を忘れず、今日の話を思い出します。
・他人の命を尊重し、共感やサポートの手を差し伸べる事が社会全体にとって重要だと感じました。
・今の自分にできるのは「交通ルール」をしっかり守ること。時効がなくなるといいなと思います。
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