■重内神社下の記念塔重内
神社下の広場に、芝生を張った上に背の高い三本の鋼製ポールに球体を載せた塔碑が建っています。
この下の石碑には、「重内地区・重内第二地区圃(ほ)場整備事業竣工(しゅんこう)記念」「区設立三十五周年記念」と記されています。昭和60年(1985)に土地改良区が建立したものです。球体は太陽、それを支えるのは知内平野を潤(うるお)す知内川、重内川、森越川、下の芝生は土壌(どじょう)を意味して、農業の三代要素と言われる太陽と水と土を象徴(しょうちょう)しているといいます。
重内地区は元々泥炭(でいたん)地帯で水捌(は)けが悪く、明治時代に入植してきた人たちは苦労して開拓をしてきました。戦前にも開発計画はありましたが進まず、終戦後の食糧不足の解決手段として、当時の永田信熊村長が重内原野の開発を訴え、本格化していきます。重内原野開発促進期成会が設立され、昭和26年には土地改良区が創設。客土(きゃくど)をしたり大規模な水路・排水路を整備したりと30年以上の歳月をかけて完成させました。
重内平野は食料事情の変化から、現在では水田だけでなく畑やハウスなどがみられる豊かな田園風景が広がっています。
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