■梅子の父 津田 仙[1837年(天保8年)~1908年(明治41年)]
郷土の先覚者の1人である津田仙。津田梅子の父であり、農業の普及・発展に尽力したことに加え、教育の分野でも活躍しました。
◆幼いころから勉学や武術に励む
1837年(天保8年)佐倉藩士の子として生まれ、8歳で藩の学校に入り、漢学や武術に励みます。また、藩主・堀田正睦(ほったまさよし)が熱心に蘭学をすすめていた影響もあり、若いころから西洋学や外国語に興味を持ち、勉学に打ち込みました。その後31歳の時に、幕府の通訳として渡米し、アメリカの社会を目の当たりにして、大きな影響を受けます。
◆ホテルに勤め、西洋野菜をつくる
明治になり新しい政府ができると、築地の外国人専用ホテルに勤めます。日本で新鮮な西洋野菜を入手するのが難しかったため、自ら農園を開いて、アスパラガスやいちごなどの西洋野菜の栽培を始めます。その後、オーストリアで開かれた万国博覧会に参加し、学んだことを踏まえて『農業三事』を著し、西洋の農法をさらに日本に広めました。
◆農業教育や学校創設に尽力する
日本に新しい農業を発展させるためには、自ら栽培するだけではなく、農業者を育てることが大事だと考えた仙は、「学農社農学校」をつくり、『農業雑誌』を発行します。
その他にも、青山学院や筑波大学附属盲学校などの創設や運営に深く関わり、大きく貢献しました。
▽Point 日本で初めて通信販売を実施
仙が発行していた『農業雑誌』で植物の種を販売したことが、日本で初めての通信販売だといわれています。
出典:国立印刷局ホームページ
https://www.npb.go.jp/ja/n_banknote/design10/
https://www.npb.go.jp/ja/n_banknote/design05/
https://www.npb.go.jp/ja/n_banknote/design01/
参照:財務省ウェブサイト
■1・2ページ参考資料
『津田梅子と五千円札物語 新紙幣ウラオモテ』(編著/オフィス303 ぽるぷ出版)
『お札になった21人の偉人なるほどヒストリー』(著/河合敦 あすなろ書房)
『佐倉市郷土の先覚者 津田仙』(編/佐倉市教育委員会)
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