■市指定有形文化財(絵画)
『絹本着色聖徳太子像(けんぽんちゃくしょくしょうとくたいしぞう)』
所在地:石堂(いしどう)302(丸山地区)
所有者:石堂寺(天台宗)
□職人たちから信仰を集めた聖徳太子像
聖徳太子(厩戸王(うまやとおう)/593~622)は、飛鳥時代の皇族で、古代日本の法制度の整備や、仏教の保護などに尽力した人物です。
丸山地区の石堂寺に伝わる聖徳太子像は、一般に「孝養太子(こうようたいし)」と呼ばれる題材の作品で、聖徳太子が16歳の時、父である用明天皇(ようめいてんのう)の病気平癒(びょうきへいゆ)を願い、仏に香を捧げた姿を、縦68.6cm・横31.6cmの絹布(けんぷ)に描いています。
制作年や作者は不明ですが、絵の筆致(ひっち)や表現の特徴から、江戸時代の前期に熟達した技量を持った絵師によって描かれたものではないかと推測されています。
また、この像は太子講(たいしこう)の本尊として使われていたとみられます。太子講とは、大工・桶屋(おけや)・畳屋(たたみや)などの業界で行われる民間信仰であり、同業の仲間同士で聖徳太子を職能神(しょくのうしん)(職業や技能の守護神)として祀(まつ)り、飲食・会合などを行う風習です。
石堂寺には、この聖徳太子像に附属する資料として、太子講仲間の住所・名前が書かれた正徳(しょうとく)元年(1711)の木箱1個と、延享(えんきょう)2年(1745)と明治(めいじ)13年(1880)の古文書2通が残されていました。これら附属資料の内容から、江戸時代~明治時代の石堂寺には、現在の三芳・丸山・和田地区の範囲で組織された太子講の拠点があったと考えられています。
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