■香取秀真(かとりほつま)-日本の近代鋳金(ちゅうきん)工芸を確立-
香取秀真(本名秀治郎(ひでじろう))は、明治7(1874)年1月1日に船尾村(現印西市)の香取蔵之助秀晴の次男として生まれました。今年は生誕150年の年にあたります。
秀治郎は4歳の時に、鏑木(かぶらき)村(現佐倉市)の麻賀多(まかた)神社宮司、郡司秀綱(ぐんじひでつな)に養子として引き取られましたが、幼い秀治郎は、生家を思い出しては泣いてばかりいたそうです。養父はふびんに思い、一度秀治郎を船尾村に戻し、7歳で改めて養子にとり、佐倉で過ごさせました。佐倉集成学校(現県立佐倉高等学校)から東京美術学校(現東京藝術大学)に学び、鋳金工芸作家として優れた作品を生み出し、日本における近代鋳金工芸を確立しました。主な作品には「古代神像」「金子うし塑像」「瑞鳥銅印」「唐草文花瓶」「銅獅子水滴」などがあります。また、金工の歴史や技法についての著書なども数多く出版しました。鋳金工芸作家としての活動の他に、和歌を正岡子規から学んで歌人としての活動を行い、歌集には『天之真榊(あめのまさかき)』や『還暦以後』があります。
昭和28(1953)年11月、長年の功績が認められて文化勲章を受章し、翌年1月31日に東京都世田谷区の自宅で81歳の生涯を閉じました。秀真はその生涯において100を超える多くの印章を使用していますが、そのなかには「印波之人」や「船穂郷民」など故郷に関係する印章があることや、晩年は「船尾に帰りたい」と夫人に話をしていたとも伝わっており、故郷船尾への強い思いを感じます。市役所ロビーに展示されている印西平和の鐘は、秀真の長男である香取正彦が父親の出身地の縁から制作したものです。
市では、生誕150年を記念し、8月8日(木)から25日(日)までの期間「企画展 印波之人 香取秀真〜近代鋳金の父〜」(本紙2ページ参照)を文化ホールで開催しますので、皆さんもぜひご来場ください。
<この記事についてアンケートにご協力ください。>