今年は、本市に大きな影響をもたらした名誉町民十枝雄三氏の生誕150年です。干ばつに襲われ被害を受け続けていた両総沿岸を救った、雄三の半生を振り返ります。
[START!]雄三誕生
・明治6年(1873)11月21日 志賀家(東金市押堀)の三男として生まれる。
・明治22年(1889) 雄三(16歳)、長生郡芦網(現茂原市)育英塾に入学。
後に陸軍政務次官や明治大学総長等になる人とも一緒に学んでいた。
・明治25年(1892) 雄三(19歳)、福岡村北吉田(現大網白里市北吉田)の十枝志んと結婚、養子となる。
・明治27・37年(1894・1904) 日清、日露戦争に出征。
日露戦争佐倉連隊入り
帰郷後、農業・養蚕業に従事。地域のリーダーとして活躍。
・昭和8年~9年(1933~34) 九十九里沿岸を含む両総沿岸の大干ばつ。
水不足により増穂村では、水田全面積の約98%の植付けができなかった。雄三の人生観も大きく変わったきっかけに。
・昭和8年(1933)4月 雄三(61歳)、福岡村村長に選任される。
・昭和15年(1940)春 雄三(68歳)、県議会議員に選出。明治以降最大の大干ばつ。
・昭和15年(1940)8月 坂本斉一(佐原選出の県議)等と干水害や両総用排水事業の必要性が話し合われる。
その後「両総用排水改良事業期成同盟」が発足、52町村への協力依頼開始。
・昭和17年(1942)2月 国会で両総用排水事業が承認される。
・昭和19年(1944)7月 佐原で起工式が挙行。
戦争や資材不足、難工事により工事は一進一退。
・昭和21年(1946)6月 天皇陛下の佐原への御幸により事業が復活。
・昭和24年(1949)4月17日 十枝家に、帰山荘が寄贈される。(現十枝の森)
農民救済のために母屋等を投げ打っていた十枝家に、帰山荘が寄贈された。
・昭和25年(1950)9月 5億円という巨額の支援を獲得し、工事が急速に進む。雄三(80歳)。
GHQへの直談判により実現。
・昭和29年(1954)12月 大網白里町、誕生。(大網町・増穂村・白里町合併)
・昭和31年(1956)6月 大網白里町から名誉町民第一号の称号が贈られる。
・昭和31年(1956)10月 十枝雄三、逝去。
白里小学校桂山分校にて雄三の告別式が執り行われる。
千葉県知事等から雄三の功績や人柄など弔辞が続いた。
・昭和32年(1957)8月10日 両総用水幹線通水試験。
利根川の水が東金市台方の田んぼに流れ着く。
・昭和32年(1957) 十枝の森入り口に「治水」頌徳碑(石碑)が建立。
「虎は死して皮を留め、人は死して名を残す。」内閣総理大臣鳩山一郎揮毫。
[GOAL!]両総用水通水!!
・昭和37年(1962)4月 幹線通水式が挙行。
利根川から一宮川までの全長78kmに及ぶ幹線の通水大工事が完了。
両総用水が一宮川まで通水したのは、雄三の死後6年後のことでした。地域農民救済のため、60代で立ち上がり、情熱を注いだ雄三の水は、人々の生活を支える“命の水”となっています。
監修:文化財審議会委員 古山豊
■両総用水って?
大河が無く、農業は雨水に頼るしか無かった九十九里一帯を救うため、雄三が取り組み完成した、利根川から全長78kmをつなぐ農業用の用水路です。
■「市制施行10周年記念」歴史講座(全3回)
今年は、「千葉県誕生150年」の年であることから郷土の近代史がテーマです。皆さんの参加をお待ちしています。
申込方法:専用の申込フォーム(本紙QRコード)、図書室窓口または電話にて申し込み
※定員に達し次第終了。
募集人数:各回60人
会場:保健文化センター3階ホール
○第1回
日時:11月19日(日)14時~16時
演題(講師):名誉町民 十枝雄三翁の三大功績について-両総用水・小中池・町村合併を例に-(古山豊氏(市文化財審議会委員))
※十枝雄三に関する写真を併せて展示します。
○第2回
日時:11月25日(土)14時~15時30分
演題(講師):明治初期、房総の教育と地域(村上博美氏(千葉県文書館職員))
○第3回
日時:12月3日(日)14時~16時
演題(講師):日露戦争を経験した千葉県の若者(久野一郎氏(御宿町月の沙漠記念館館長))
問合せ:大網白里市図書室
【電話】0475-72-8383
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