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先人たちの足跡 No.286

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千葉県栄町

■栄町のちば文化資産「安食の酉の市」
ちば文化資産の紹介も今月で最終回。本シリーズの大トリを飾るのは、「安食の酉の市」です。
安食の酉の市は、例年12月初めの酉の日に大鷲神社で開催されるイベントです。提灯が踊り並ぶ境内石段のふもとを、いくつもの屋台が軒を連ねます。大鷲神社は商売繁盛にご利益があるとされ、その代名詞と言える福熊手が、市場を華やかに彩ります。
酉の市の起源は定かではありませんが、現在確認されている最も古い文献は、安政2年(1855)3月に書かれた「質屋旅籠屋渡世者御改ニ付書上帳」(しちやはたごやとせいものおあらためにつきかきあげちょう)です。毎年11月(当時は太陰暦)の初めの酉の日に、年に1度、市が開かれ、商人が近隣の村から集まっていたと記録されています。
上史料と奇しくも同じ時期に著された「利根川図志」(1855年執筆、1857年完成)によると、鷲宮(当時の大鷲神社)には、毎年正月と11月初酉の日に、遠近の老若が群れを成して参詣していたと記述されています。
幕末の頃には遡ることが確実な安食の酉の市ですが、どのような背景で、大勢の人々が集まっていたのでしょうか。
「利根川図志」には、安食が、利根川から流れる長門川と、将監川、そして印旛沼からの3方の船が発着する船着場であり、人々で賑わう繁盛の地であったと書かれています。安食には、現在の長門橋の近くに安食河岸という船着き場がありました。江戸時代後期から明治期まで、利根川流域の地域は、水運が非常に盛んで、安食河岸は、3方の河川が交わる交通の要衝だったのです。
安食河岸は、成田山参詣や、海産物の荷揚げに利用されていました。成田山参詣の旅人による利用は1827年から、水戸藩内産の海産物の荷揚げ場としての利用は1841年からです。これらを背景に、交通の要衝の地として繁栄した安食において、酉の市の文化が花開いたと考えられます。
今年は12月2日から5日にかけて開催されます。(11ページ参照)みなさんも賑やかしに酉の市へ出かけてみませんか?

生涯学習課文化財班
【電話】95-1112

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