■浅間山古墳と岩屋古墳(七)
岩屋古墳は、江戸時代には既に盗掘されていたので、石室の中にどのような副葬品が供えられていたかはわかりません。
少し後の例になりますが、8月号で紹介したマルコ山古墳の副葬品などがヒントになりそうです。棺の飾り金具は、花びら型の金銅製飾り金具で、浅間山古墳の飾り金具類とも要素が似ています。岩屋古墳にも同様の飾り金具を備えた棺が納められていたのではないでしょうか。
次に、石室の構造を詳しく見てみましょう。墳丘の南側に2つあり、東側は崩落していますが、西側は現在でも中を覗くことができます。両石室は、天井部に筑波山系の変成岩が用いられ、壁面には、約10万年前に堆積して固まった木下貝層の貝化石層砂岩を煉瓦状(直方体)に加工して使用しています。
石材を煉瓦状に加工するのは、関東地方では、極めて珍しい作り方でした。近畿地方中心部の飛鳥の古墳に数例みられるほかは、あまり例がありません。
一方、韓国では「塼(せん)」とよばれる煉瓦や直方体に加工した石を積み上げた石室が、百済国の古墳に見られます。韓国の留学生が、岩屋古墳の石室を見て、自分の故郷の石室に似ていると言っていたのですが、岩屋古墳の石室内部は、百済国の陵山里(りょうざんり)古墳群等の石室にとても良く似ています。脆弱な貝化石砂岩を直方体に加工して積み上げるのは、非常に大変な作業で、それまで龍角寺古墳群を築造していた石工職人では技術的に困難であったといえます。朝鮮半島からの渡来人や畿内の石工が関わっていたことも考えられるでしょう。
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