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歴史のしずく

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千葉県白井市

■追い詰められる牧士
江戸時代、千葉県北西部には幕府により小金牧という馬の放牧場が設置されました。管理は有力農民から任じられた牧士が務め、富塚地区の川上家は5代にわたり牧士を務めました。川上家の当主は代々次郎右衛門を名乗り、3代目牧士の川上次郎右衛門は晩年に右仲と名乗りました。
県指定文化財「小金牧の牧士資料」には維新期の牧士の窮状を伝える書状があります。
文久元~3(1861~63)年に牧士の花野井半左衛門と川上右仲は連名で、牧士の所属する野馬方役所より計850両を借りました。野馬方役所の建物の修復金として借りたもので、村々に一両につき月銀五分の利息で貸し付け、利子を修復費に充てる計画とし、午年(1870)を貸付期限としました。なお、川上右仲は文久2年に没したため、文久3年からの借主は、4代目の牧士となった川上次郎右衛門に代わります。
ところが1868年に明治維新が起きました。徳川宗家は5月に駿河府中藩(静岡県)へ移ったため、役所の建物修復は不要となりました。当時、川上次郎右衛門は幕府陸軍に所属し、駿河府中藩に移住しアラビア馬の飼育に従事しましたが、藩は次郎右衛門に修復金の返金を求めました。そこで、幕府陸軍の所有していた馬を小金牧に送り、小金牧周辺の村人に売却することとなりました。当時、幕府陸軍砲兵方は約300匹の馬を所有しており、番号を付して選別した上で6月に売却しました。実務は川上次郎右衛門の息子の川上英太郎が担ったようです。その結果、川上次郎右衛門は藩に222両を返金しましたが、借金の総額には届きませんでした。
川上次郎右衛門は駿河府中藩に返済猶予の交渉をします。8月には、残してあった預り馬も入札の上で売却しましたが、450両の借金が残ってしまいました。駿河府中藩は11月に貸付金を450両から500両に取り直すことで猶予するとしましたが、返済の目途は立たず、川上次郎右衛門は冥加金として毎年100両を明治2(1869)年から10年間上納するとして藩の承諾を得ました。とはいえ返済は滞り、交渉の結果、明治4(1871)年になって解決したようです。

問合せ:生涯学習課
【電話】492-1123

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