■縄文海進
近年、地球温暖化による海面上昇が観測され、脱炭素が社会的な課題となっています。
実は縄文時代には今よりも気候が温暖化し、海面が上昇した時期があったと考えられています。「縄文海進」と呼ばれています。
今から約6千年前の縄文時代早期に銚子から海水が流入し、利根川・霞ケ浦・印旛沼・手賀沼の範囲は一つに連なり、香取海とも呼ばれる内海が広がりました。海は徐々に西進し、それにつれて水質は淡水から海水混じりの汽水、さらに海水(鹹水(かんすい))へと変化し、海岸には干潟が形成されていきます。縄文人は海岸で採れた貝を食べ、まとめて捨てたものが貝塚や貝層として残されていますが、貝の種類の変化から、海の状況を伺い知ることができます。
海進初期の汽水の時期は、ヤマトシジミを食べます。海進が進むにつれ、低鹹域の砂礫底で採れるマガキ、泥底で採れるハイガイ、砂泥底で採れるハマグリと食べた貝の種類が変化して行きます。
印旛沼や手賀沼周辺の、印旛地域の縄文時代の遺跡では、印西市西部にある瀧水寺裏遺跡で縄文時代早期後半(野島式)の貝層が確認され、その後2~3百年かけて徐々に全域に広がって行きました。
白井でもいくつかの遺跡で貝層が発見されています。
手賀沼に面した平塚地区の向台II遺跡では縄文時代早期のシジミの貝層が発見され、印旛地域最古の貝層の可能性がありますが、詳細は不明です。確実な出土事例は同じ平塚地区の縄文時代早期後半の海老内台遺跡や小森城跡で発見された貝層です。海老内台遺跡ではシオフキ・アサリ・オキシジミ・ハマグリが、小森城跡ではハマグリ・オキシジミ・ハイガイ・マガキが出土しており、当時の白井に海が到達し、浜辺で貝が採れたことが伺えます。
続く縄文時代前期には国道16号線の復インター近くにある復山谷遺跡でマガキ・オキシジミ・ヤマトシジミが出土し、神崎川を遡上して海が来ていたことが伺えます。
その後、約4千年前の縄文時代後期には印旛地域ではヤマトシジミを食べるようになり、現代の気候に近くなり海退したと考えられています。
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