▽サッカー指導者 廣山望(HIROYAMA NOZOMI)
蔵波小・中学校出身。幼稚園の頃にサッカーに触れ、小学1・2年生では「長浦SC」に所属し、その後「蔵波FC」に1期生として入団。中学は市外のクラブチームに、高校は習志野高校サッカー部に所属。高校卒業後は、ジェフユナイテッド市原(現ジェフユナイテッド市原・千葉)でプロキャリアをスタート。23歳の時にパラグアイへ海外移籍。ポルトガルとフランスの1部リーグでもプレーし、いずれのリーグでも最初の日本人選手となった。また、サッカー日本代表として、国際大会にも出場した。35歳で現役を引退し、現在は指導者として活動している。
2023シーズンは、サッカーU-17日本代表コーチとして、「U-17ワールドカップ(ベスト16)」や「モンテギュー国際大会(準優勝)」に参加した。
■好きだという気持ちと上手くなりたい気持ちが僕の成長に繋がっている
取材日:令和5年12月6日
◇初めてサッカーに触れたのは今井幼稚園
初めてサッカーに触れたのは、幼稚園の頃でした。
今井幼稚園に通っていた時に、一人1個ボールを渡され「園庭で好きに蹴っていいよ」と言われたことを今でも覚えています。広い場所でボールを蹴ることがとても楽しくて。それがサッカーを始める入口でした。ボールがあって、ボールを蹴れる広い場所があって、とても恵まれた環境でのスタートでしたね。
また、幼稚園の七夕行事の時には「サッカー選手かパイロットになりたい」という夢を書きました。当時はJリーグがなかったので「サッカー選手」という職業が身近になかったのですが、それくらいサッカーが楽しかったんだと思います。
◇「蔵波FC」1期生として入団
蔵波小学校に入学した当時は、サッカーチームがありませんでした。そこで小学2年生までは、長浦小学校で活動していた「長浦SC」に所属して、毎週1~2回練習していました。
小学3年生の時に、長崎先生という方が蔵波小学校に赴任してきました。長崎先生は、前任の学校で指導していたサッカーチームが全国大会に出場していたり、赴任初日に「サッカーチームを作ります」というチラシを配布していたりと、サッカーの指導にとても熱心な先生でした。「蔵波小学校の校庭で毎日練習ができるなら、そっちでやろう」と思い、「蔵波FC」に1期生として入団しました。
◇環境にも恩師にも恵まれた宝物のような少年時代
子どもの頃は毎日サッカーをしていましたね(笑)。
当時の蔵波FCには、3~6年生は「朝練」があり、7時半頃から学校が始まる8時過ぎまで練習、学校が終わった夕方も練習、土日は試合と、サッカー漬けの日々でした。
練習では、ドリブルやシュートなどの基礎練習をひたすら行いました。指導者になった今だから分かるのですが、「ゴールデンエイジ」と呼ばれる、運動能力が急速に発達し、サッカーに必要なスキルを獲得するのに最適だった小学校高学年の時期に、基礎練習をたくさん行えたことは大きかったです。毎朝子ども達の指導を行うのは大変なことですが、当時の長崎先生の熱量が印象的で、本当にありがたかったですね。
そんな先生と出会えたことはとてもラッキーでしたし、宝物のような少年時代でした。
◇現在にも繋がる指導の真髄(しんずい)
長崎先生の指導は厳しかったですが、全学年を見ているのにも関わらず、一人ひとりに向き合ってくれる先生でした。自分が指導者という立場になってようやく、一人ひとりと向き合うことの大変さ、難しさを痛感したので、当時あたり前のようにやってくれていた先生にはとても感謝しています。
普段の練習で印象的だったことは、例えば、ボールを取り合う練習をした時。自分より体格がいい相手に負けてしまった時でも「お前は弱い!」と長崎先生に怒られたことを覚えています。相手から逃げてしまった時に、先生から「弱い」と言われることは、自分自身が分かっていることを指摘されるので、とても響くんです。強くいかなければいけない場面や絶対に逃げてはいけない場面で逃げないこと、勝負へのこだわり、普段の練習を通して大事なことを教えてもらいましたね。
僕は指導する時に「世界で戦うためには強くないといけない」とよく言うのですが、長崎先生に教わっていたことに通ずるものがあるんだと思います。
また、怒るだけではなく、練習で頑張って上手くできた子は、みんなの前で褒めてもらえるんです。それはすごく嬉しかったですし、長崎先生の練習には、子どもが本気で取り組める要素が散りばめられていて、今思えば指導の真髄だったなと思います。
◇自信になった思い出の試合
小学4年生の時に、集大成の大会として出場した「二村杯(にむらはい)」が1番の思い出です。
「二村杯」は、県内や近隣の強豪チームを招待した、蔵波FC主催の大きな大会なのですが、その大会で優勝して、優秀選手賞をもらうことができました。僕の父親がチームの役員をしていて、父親から表彰されたことを今でも覚えています(笑)。実は、この時対戦した相手チームに、ジェフの同期入団の選手がいたのですが、そんな強豪チームが参加している中で優勝できたことは、大きな自信になりましたね。
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