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特集「山野貝塚、国史跡。」(1)

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千葉県袖ケ浦市

■国史跡 山野(さんや)貝塚
◆山野(さんや)貝塚 Information
住所:袖ケ浦市飯富3516-8 ほか
アクセス:
[車]
・角山配水場外 仮設駐車場から徒歩数分(蔵波2937-1)
・郷土博物館 駐車場から徒歩約20分
[路線バス]各バス停から徒歩約20分
・平岡線 袖ケ浦公園バス停
・のぞみ野長浦線 蔵波二ノ堀バス停
・代宿団地袖ケ浦バスターミナル線 蔵波台バス停

◆「山野貝塚」とは
根形地区飯富にある「山野貝塚」は、縄文時代後期~晩期(約4,500~2,500年前)にかけて営まれた「ムラ」の跡です。
全国にある約2,400の縄文時代の貝塚のうち、その3割が千葉県にあります。とくに、房総半島の東京湾岸、現在の野田市から木更津市にかけて南北に連なって分布しています。
山野貝塚は、現存する大型貝塚の中では、県内で最南部に位置しています。また、縄文時代以降、大きな土地の改変を受けていないため、縄文時代の景色を色濃く残しています。
そのため、遺跡としての重要性が高いことから、平成29年10月13日に国史跡に指定されました。

◆山野貝塚の暮らし
山野貝塚では、東西約140m・南北約110mの範囲に、貝殻を含んだ土が馬のひづめ状に高くなっています。また、その内側には高まり部分との高低差が約1.2mある窪地地形が見られます。
これまでの発掘調査の結果、この地形は1,000年以上にわたってこの場所に暮らし続けた縄文人が、住居を建てる場所やゴミを捨てる場所などのルールを守り続けたことで、形作られたものと考えられています。
また、当時の人々は、ドングリやシカ、イノシシなどの陸の恵みや、貝や魚などの海の恵みを食べる物として、また道具の素材としても利用していました。まさに、SDGsを体現した生活を送っていたのです。

◆用語解説
◇史跡
史跡は、遺跡の中でもとくに重要な場所のことを指し、「国の歴史の正しい理解のために欠かせず、またその遺跡の規模や遺構、出土遺物などが歴史上価値が高く重要なもの」と定義されています。
「遺跡」は全国に約46万カ所ありますが、「史跡」は1,895カ所(令和6年5月1日現在)しかなく、遺跡の数に対して約0.4%となっています。

◇縄文時代
「縄文時代」は、旧石器時代後の約16,000~2,500年前を指します。
縄文時代は、「草創期」「早期」「前期」「中期」「後期」「晩期」に分かれており、山野貝塚は後期~晩期にかけて営まれたと考えられています。

※現地見学会を行います。詳細は、本紙18ページをご確認ください。

■これからの山野貝塚
はるか昔から残されてきた山野貝塚を、現在に暮らす私たちは保存・活用し、未来に継承していく必要があります。
しかし、現在の山野貝塚は、縄文時代の貝がむき出しの状態で、草の繁茂によって史跡を特徴づける地形が見られないなど、適切な保存・活用ができていない部分があります。
そこで、令和5年度に「史跡山野貝塚整備基本計画」を策定し、今後の整備の方向性を明確にしました。
今後はこの計画に基づき、縄文時代の景観を復元するための整備を進め、市民の皆さんが地域の歴史を学べる憩いの場として整備していきます。

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