■浮世絵美人
菱川師宣(ひしかわもろのぶ)は土佐派(とさは)にも精通して、日本の伝統の大和絵(やまとえ)も描きました。近江(おうみ)(滋賀県)の石山寺(いしやまでら)は紫式部(むらさきしきぶ)が参詣して、「源氏物語」を着想、執筆したと伝わる寺院です。石山寺紫式部の図は、古来、絵画の画題として多くの大和絵師が描いてきました。
菱川師宣の肉筆画「石山寺紫式部図」が今回、新発見され、菱川師宣記念館の特別展「浮世絵美人」で初公開されています。
さて、師宣に始まる浮世絵は、江戸時代を通じて庶民の絵画として流行しました。中でも人気は美人画です。その時代時代に、独自の美人を描いて人気を得た浮世絵師たちが登場します。
まず、鈴木春信(すずきはるのぶ)。彼の描く美人は、華奢(きゃしゃ)で可憐(かれん)な少女のような女性。これが一躍大人気となり、世間は春信美人一色になりました。
寺社の茶屋などの看板娘(かんばんむすめ)を描き、これが大ヒット。今風に言えば「会いに行けるアイドル」を描いたのです。
次に現れたのが天明期の鳥居清長(とりいきよなが)。彼はすらりとした八頭身の女性を描き人気を得ました。のちに東洋のビーナスと絶賛される浮世絵美人です。
次に浮世絵美人画界にすい星のごとく現れるのが、喜多川歌麿(きたがわうたまろ)。「大首絵(おおくびえ)」と呼ばれる女性のアップ像を描き、女性の表情、内面まで表現しようとしました。寛政期、歌麿は浮世絵師のトップスターに躍り出て、世は歌麿美人であふれ、彼をまねる絵師が続出、また対抗馬を売り出す版元(はんもと)も現れ、浮世絵界は歌麿ブームで盛り上がります。
その後、時代は幕末、いなせな姉御肌(あねごはだ)の美人が流行、その美人を描いて人気を得たのが、渓斎英泉(けいさいえいせん)。つり目でおちょぼ口に笹紅(ささべに)、きっぷのいい近所のおかみさんや粋(いき)な芸者などが描かれました。
美人画の浮世絵師としてこの四人を押さえておけば浮世絵美人の時代の流れは大丈夫です。
記念館では彼らの作品を集めた特別展「浮世絵美人」を三月十七日まで開催しています。めったに見られない名品が集まりました。この機会に、ぜひご来館ください。
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