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お茶の間博物館 417

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千葉県館山市

■シリーズ 房州の名産品今昔 (2)白土
今年3月、「房州白土(ぼうしゅうはくど)」が千葉県立現代産業科学館の「伝えたい千葉の産業技術100選」に登録されました。白土は、凝灰岩(ぎょうかいがん)層から産出されるきめ細かいガラス質の火山灰です。「房州砂」とも呼ばれ、市内では江戸時代以降、豊房・館野・九重・神戸・館山地区の山地で採掘されてきました。館野地区の稲では天明7年(1787)の時点で白土採掘への課税が確認でき、また豊房地区の飯沼では、享和3年(1803)に採掘に着手したと言われています。
この白土は、江戸時代には研磨剤や歯磨き粉として使われていました。学者や作家、発明家として知られる平賀源内(ひらがげんない)(1728~1780)が、江戸で売られる歯磨き粉の宣伝用に考えた売り口上にも、歯磨き粉はどれも「防(房)州砂」に香りを付けて、名前を変えただけの商品であることが述べられています。当時、房州産の白土が歯磨き粉の材料として江戸に出荷され、広く利用されていたことが分かります。
明治時代以降は、精米用やビール瓶の原料などに用途を広げ、販路の拡大や産出額の増加がみられました。現在の館山市域を中心に採掘された安房地域での白土産出額は、明治44年(1911)頃には10万円以上、大正10年(1921)には52万円以上となっています。明治40年代には、東京・横浜を中心に、福島・静岡・大阪や遠く北海道にまで出荷されるようになり、房州を代表する特産品へと成長しました。
大正から昭和初期には、白土に石鹸を配合したクレンザーが各社から発売されました。戦後になると石鹸に代わって合成洗剤が配合された新商品が登場し、市内館山(下町)の福島商店でも、白土と合成洗剤を配合したクレンザーを製造していました。
写真の資料は、昭和30~40年代に福島商店で製造されたクレンザーと商品ラベルです。「日の出クレンザー」は市内北条の小山商会からの委託で製造したもので、他にも福島商店製造のクレンザーが「福光クレンザー」や「主婦の友クレンザー」といった商品名で他の商店でも販売されていたそうです。
現在、房州白土は生産されていませんが、房州の地下資源を活用した産業と名産品の歴史を伝えていきましょう。

※写真は本紙をご覧ください。

■博物館の休館日
本館・館山城:7月8日、16日、22日、29日
渚の博物館:7月29日

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