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お茶の間博物館 418

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千葉県館山市

■シリーズ 房州の名産品今昔 (3)殿様に献上された魚
三方を海に囲まれた房州では、縄文時代から漁業が行われてきました。現在も館山市内の漁港では、サバ・イワシ・ブリなど、さまざまな魚が漁獲されています。今回は江戸時代の館山湾で漁獲し、殿様に献上された魚を紹介します。
天明元年(1781)、稲葉正明(まさあきら)を藩主とする館山藩が成立しました。江戸時代、大名は決まった季節に、将軍家へ領地の特産物などを献上する決まりがあり、館山藩では毎年4~5月に「浜塩鯵(はましおあじ)」を献上していました。このアジは館山湾で地引網漁により漁獲したもので、恐らく塩漬けにして江戸まで運ばれたのでしょう。
また、最後の館山藩主である稲葉正善(まさよし)は、慶応元年(1865)3月に館山に帰国した際、お礼として14代将軍の徳川家茂に「干鯛(ほしだい)」を献上しています。大名は、一定期間ごとに江戸と国元を行き来する参勤交代を行っており、前年に藩主となった正善にとって、これが初めての帰国でした。館山湾では、綱に付けられた木片でタイを驚かし、網に追い込む桂網漁(かつらあみりょう)という漁法が、江戸時代初めに関西の漁師によって伝えられました。将軍へのお礼の品として選ばれた「干鯛」は、館山湾の桂網漁で漁獲したタイを日干しにしたものと思われます。
館山藩が成立する以前には、旗本の川口氏が館山・真倉・沼を支配していましたが、このときには館山の楠見浦・新井浦・上須賀、および沼の柏崎浦の4か所から、合計11本の初ガツオを上納していました。将軍家への献上品ではなく、領主である川口氏に納めたもので、同じ浦からはモズクも集められました。
写真の絵は、沼出身の絵師である勝山調(かつさんちょう)が、文化6年(1809)7月に描いた一本釣り漁の様子です。船の上から多くの漁師が釣り竿で漁を行っており、魚はカツオでしょう。沼の柏崎浦では4月から10月の間、カツオ漁を行っており、山調は実際に見た漁のようすを描いたものと思われます。タマ(タモ網)を持つ人物の脇には「いわしなげ」と記されており、活きたイワシが餌として使われていました。現在も館山湾は餌イワシの産地として知られています。

※写真は本紙をご覧ください。

■博物館の休館日
本館・館山城(9月9日、17日、24日、30日)
渚の博物館(9月30日)

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