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わたしのまちの文化財 vol.194 最上遺跡~弥生時代からつづく集落~

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和歌山県紀の川市

人が生活をした場所には何らかの痕跡が残され、その多くは普段から目にすることができます。一方で、家の下や散歩している足下に埋まっている「埋蔵文化財」は、発掘調査などでしか姿を見せず、身近にあって、縁遠い存在かもしれません。しかし、文字の無い遠い昔のことや文字には書かれることのない何気ない生活や風景を教えてくれる、大切なものなのです。
市の指定文化財である最上廃寺が桃山町最上にあります。奈良時代より少し前の白鳳期に創建された寺院の跡で、仏教伝来以降、県内では早い時期に建てられました。その寺院跡の東側一帯に「最上遺跡」が広がっています。開発の度に発掘調査が行われ、少しずつ地域の歴史や様子がわかってきています。平成13年度には和歌山県が調査を行い、奈良時代の掘立柱建物の跡が見つかっています。平成29・30年度には、市が調査を行い、奈良時代から平安時代の建物の柱穴や2000年程前の弥生時代の溝が見つかっています。
そうした中、今年度は、遺跡範囲の中央で発掘調査を行いました。発掘調査の多くは、開発により遺跡が壊れてしまうため、記録し、その歴史を保存するために行います。今回の調査は、開発範囲のごく一部で、その他は今でも地中に保存されています。調査を行うと地表から数10cm下に約1300年前の生活の跡が広がっていました。柱穴や溝、生活に使用した食器類の破片など、多くの物が発見されました。柱穴は一直線に約1.5m間隔で4基並びます。穴の大きさは直径50~70cmほどで、比較的大きな掘立柱建物が建っていたことが想像できます。
これまでの調査成果から、桃山町最上の歴史の一部が想像できます。2000年程前に紀の川の氾濫などの影響がない高台で、周囲に水を確保できる最上地域で人が生活をはじめます。周りの山に古墳がいくつもあることから、古墳時代にも周辺で生活が営まれていたことがわかります。この地をおさめた豪族は新しい文化である仏教を取り入れ、象徴として寺院を建立することで力を知らしめます。程なく、寺院はなくなってしまいますが、この地では変わらず生活が継続し、現在に至ります。
私たちの普段の生活が積み重なり歴史になっていきます。個人の歴史と地域の歴史はつながっています。地域を巡ると神社や石碑、樹木など多種多様なものから歴史が伝わってきます。歴史とは難しいものではなく、全ての人が歴史を紡ぐ一員なのです。

問合せ:紀の川市文化財保護審議会
【電話】77-2511(生涯学習課内)

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