世界で初めて全身麻酔による外科手術に成功した華岡青洲。
今年は偉業達成から220年の記念すべき年です。私たちが住む紀の川市の偉人「華岡青洲」をこの機会に学んでみませんか。
アメリカ合衆国シカゴ市にある国際外科学会栄誉館は、人類への貢献度の高い科学者を称え、展示しています。日本人の外科医師として、ただ一人展示されているのが、華岡青洲。世界で初めて全身麻酔薬を使用した乳がん摘出手術を行った医師です。青洲がいなければ、医学の発展は約50年ほど遅れていたとも言われています。
青洲は、宝暦10年(1760年)10月23日、父直道と母於継の長男として、現在の紀の川市西野山に生まれました。祖父や父が医者だったこともあり、けがをした人や病気で苦しんでいる人を見ながら育った青洲は「治りにくい病気を治せる立派な医者になろう」と幼い頃から大きな思いを抱いていたと言われています。
23歳のときに最新の医学習得のため京都へ行き、3年間の修行を終えて帰郷。外科手術で患者の苦痛を和らげ、手術を成功させるためには麻酔薬の開発が必要不可欠であると考えた青洲は、研究に打ち込みました。
麻酔の効果を強くし、副作用を弱くするため、何百回も実験を積み重ね、動物実験で効果が得られるようになってきました。しかし、人体でも同じ効果が得られるのかを確認するためには、人体実験が必要でした。その時に自ら協力を申し出たのが、母の於継と妻の加恵。2人の協力を得て、有効性と安全性を確認しました。研究を始めてから約20年。やっとの思いで麻酔薬「麻沸散(通仙散)」を完成させました。そして、文化元年(1804年)10月13日、世界初の全身麻酔下での乳がん摘出手術に成功。その快挙は瞬く間に全国に広がり、多くの患者や華岡流医術を学びたい医師が青洲の元を訪れるようになりました。
青洲は、診療所や医塾である「春林軒」を建て、多くの患者の命を救い、門下生に高度な医術を教えました。
そのほかにも、神社や寺への常夜灯の寄付や干ばつと年貢に苦しむ農民を救うため、灌漑(かんがい)用ため池を作るなど、医者のみならず、さまざまな功績を残しています。
▽春林軒
青洲の住居兼診療所、医塾。主屋と蔵は青洲が活躍した江戸時代の建物で、そのほかは調査資料を基に復元し、平成9年に整備再建されました。診察室、手術室、病室、講義室、薬草保管所、薬調合所などが配置されています。
※くわしくは、(本紙)34ページ「わたしのまちの文化財」で紹介します。
▽曼陀羅華(まんだらげ)
曼陀羅華に数種類の薬草を配合して全身麻酔薬「麻沸散(通仙散)」を開発。凛と咲く姿はとても美しいです。
■青洲の精神がいつまでも生き続けますように。
上名手公民館
館長 谷脇誠さん
青洲の魅力は、世界初の全身麻酔下での乳がん手術を行ったことだけではありません。
医学面も含め、青洲の人となりなどを深く知ってもらい、顕彰の輪を広げるため、検定テキストの作成や語り部の指導、出前講座などの活動を行っています。
青洲は、延べ数十万人の患者を治療し、2,000人以上の医師に医術を教えました。お金がない人たちにも治療を行い「自分さえよければ」という考えではなく、他人への思いやり、助け合いの心を大切にしてきました。また、麻酔薬を開発するため、地道な努力を20年も続けてきました。
このような青洲の精神や思いは、私たちも引き継いでいかなければならないと思っています。
青洲の偉業を過去のこととして終わらせるのではなく、今の時代にどうやって生かしていくかを考えることが大切です。
<この記事についてアンケートにご協力ください。>