約350年間続いた古墳時代には、全国に約160,000基の古墳が造られました。県内には約1,700基が造られ、県内最大の天王塚古墳が所在する和歌山市の岩橋千塚古墳群には、その内の約900基があります。埋葬されているのは、和歌山市を中心に力を伸ばした「紀氏」と呼ばれる豪族です。古墳は、その土地を治めた有力者たちの墓であるため、紀氏の力がいかに強かったかが分かります。この地では6世紀以降、古墳造りが活発となり、特徴として「岩橋型」と呼ばれる横穴式石室を埋葬施設にもつようになります。
市内に目を向けると、紀の川や貴志川流域に古墳が多くあり、現在70基を超える古墳があります。言い伝えや江戸時代に記された『紀伊国名所図会』によると、今より多くの古墳があったことが分かっています。半数近くは貴志川地域にあり、桃山地域や打田地域では所在する場所に偏りがみられ、粉河地域や那賀地域では少なくなる傾向があります。確認されている古墳の特徴の一つは、貴志川町北の北古墳群や竹房の竹房古墳群などのように埋葬施設に岩橋型横穴式石室をもつものと、桃山町の神田古墳群のように「畿内型」と呼ばれる埋葬施設をもつものがあります。比較的近い場所で同時期に造られた古墳に見られる違いから、敵味方の関係など、当時の勢力の範囲や社会的なつながりが想像できます。
文字に残されていない頃の歴史を想像するためには、古墳などの文化財が手がかりとなります。しかし、古墳は造られてから1,300年以上が経過し、その姿はさまざまに変化し、開発によって消滅してしまった古墳も多くあります。反対に、貴志川町上野山の丸山古墳のように当時に近い状態で残されているものもあります。また、市内にいくつかある「三昧塚」と名前のついた古墳のように、墓地といったシンボル的な存在となり、現在では埋葬場所や墓地となっているものもあります。
多種多用な文化財が大切にされる理由は、長い間大切に守られてきた地域の歴史であり、その地域で暮らす人の歴史の一部でもあるからです。それは、生まれ育った場所だけではなく、移住先の文化財も同様。歴史を紐解いていくと、どこまでも深く、広がっており、誰もが歴史の沼にはまっていることに気づきます。
2月18日(日)まで歴史民俗資料館で企画展「紀の川市の古墳」を開催中。この機会でないと滅多にみることのできない展示物がたくさんあるため、お見逃しなく。
問合せ:紀の川市文化財保護審議会
【電話】77-2511(生涯学習課内)
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