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わたしのまちの文化財 vol.202 桃山町神田地区の一字一石碑

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和歌山県紀の川市

水は人々の生活には不可欠なもので、先人たちはさまざまな方法で広い大地を潤してきました。桃山町神田地区を流れる用水路もその一つで、江戸時代初期には造られていたと考えられています。同地区に所在する正福寺の東方に取水口を設け、柘榴(ざくろ)川の右岸が「一の涌」、左岸が「二の涌」と呼ばれていました。
水を運ぶ用水路の維持管理は重要な仕事で、大雨の後や日常的な見回りは欠かせません。神田地区に残された古文書にも一の涌や二の涌に関する維持管理や修繕の記録が確認できます。
昨年度、その様な見回りの際、正福寺の東約200mの地点で岩肌に掘られた文字が発見されました。周辺の柘榴川両岸には結晶片岩が露呈し、岩肌に「文化二乙丑年(1805)、奉書寫大乗妙典一字一石、八月廿一日」と刻まれています。中央に刻まれた「奉書寫大乗妙典一字一石」という文字の総高は約1.5mもあり、法華経の別名である大乗妙典を書き写し奉納するという意味の文字が刻まれています。また、一字一石とは、自然石の小石に経文を一字ずつ記したもので、供養、地鎮、祈願などを目的として土中に埋納します。その上には、経典名や年月日などを刻した石碑や塔を建てることが多く、江戸時代になると全国で盛行しました。
今回発見された一字一石碑は柘榴川右岸に位置し、周囲が岩盤のため、経石が埋まっている可能性は低いですが、もしかすると、どこか近くに埋納されているかもしれません。一字一石碑のすぐ上には一の涌、対岸には二の涌があり、対岸の川沿いには古くから小路が通っています。かつては道を行き交う住民が普段から碑を目にしていたものと想像できます。
現在もこの地区の人々は、生活を支えるこれらの用水路を守っており、平成29年度には一の涌の整備工事が行われ、大部分がコンクリート造となり、姿は変わりつつあります。一方、二の涌には今でも石積みが多く残されており、昔からの姿を偲ぶことができます。一字一石碑がどういうきっかけで造られたものかはっきりわかりませんが、大切に守られてきた用水路やその源となる柘榴川に面していることから、五穀豊穣や村内安全などの祈願のためではないかと考えられます。
一つの発見からそのものを取り巻く多くの歴史や思いが想像できます。これからも紀の川市の歴史を物語るさまざまな文化財を大切に守り、引き継いでいきたいものです。

問合せ:紀の川市文化財保護審議会
【電話】77-2511(生涯学習課内)

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