■第10回 町内の文化遺産(3) 補陀洛山寺・熊野三所大神社
補陀洛山寺は、近世期に盛んに実施された補陀落渡海の中心寺院です。そして、そこに隣接する熊野三所大神社は浜の宮王子ともよばれ、九十九王子のひとつにもなっていました。お寺と神社が隣接している様子は、青岸渡寺・熊野那智大社と同様に神仏習合の面影を感じさせる風景となっています。
補陀洛山寺でおこなわれた補陀落渡海とは、南方の海上にあるとされる観音浄土を目指して船で旅立つ捨身行です。30日分の食料と燃料を積み、外に出られないように扉に釘が打たれたうえで出航しました。境内には渡海僧の名前を刻んだ補陀落渡海記念碑や、復元された渡海船が展示されています。
補陀落渡海の記録は平安時代からはじまり、貞観10年(868)が最初の記録です。それから近世期まで実施されてきました。
近世期には船に閉じ込められた僧が逃げ出すという事件も発生したことから、それ以降は住職が死亡した後に水葬というかたちで継続されたそうです。
平成5年(1993)に復元された補陀落渡海船をよくみてみると、大人ひとり入るのがやっとなスペースがあり、その四方が鳥居で囲まれています。これは発心門、修行門、菩提門、涅槃門とされており、密教で悟りにたどり着くための4つの段階が表現されています。
そして、それに隣接する熊野三所大神社は古来、浜の宮王子、渚の森と呼ばれていました。昔の文献には、鳴澤の森とも記載されており、なきさわが転じて渚になったのではないかと書かれています。渚の森は歌枕としても使用され、昔から名勝の森としての名高い場所だったのでしょう。
この場所は今でこそ、海岸線は遠くなっており森もありません。しかし、もともとは目の前が海となっており、熊野参詣道の中辺路・大辺路・伊勢路の分岐点となっていました。那智山への参詣者は、この場所で禊をおこなってからのぼっていったとされています。
さて、町内における「紀伊山地の霊場と参詣道」の主な登録寺社についてのお話は今回で終了です。
次は熊野参詣道についてのお話です。
文・前田 愛佳(学芸員)
<この記事についてアンケートにご協力ください。>