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世界遺産を読み歩くー学芸員通信(全12回)ー 第5回

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和歌山県那智勝浦町

「紀伊山地の霊場と参詣道」世界遺産登録20周年記念連載
世界遺産を読み歩く ー学芸員通信(全12回)ー

■第5回「紀伊山地の霊場と参詣道のすごさ(2) 高野山編」
高野山は、和歌山県北部に位置する真言密教の霊場です。今から約1200年前の平安時代に弘法大師・空海によって開かれた仏教の一大聖地です。現在も高野山上には117の寺院が密集しています。高野山の世界遺産登録資産を代表するものとして、空海が山岳修行の中心として開創した「金剛峯寺」や、高野山のふもとにある「慈尊院」、中腹にある「丹生都比売神社」などがあります。
「金剛峯寺」というのは、もともと高野山全体と同義でした。これは、高野山が「一山境内地」といわれる、山全体がお寺であるという考え方に基づくためです。「慈尊院」は、金剛峯寺の建設、交通の便を図るための政所として創設されました。「丹生都比売神社」は高野山を含む紀伊山地南西部の地主神を祀っており、神と仏が共にある、日本独自の宗教観「神仏習合」の聖地とされています。明治期の神仏分離令によって、境内にあった僧坊などの仏教関連施設は撤去されていますが、金剛峯寺と密接な関係をもち、高野山参詣の中では重要な神社であったと考えられています。
高野山への参詣では「高野山町石道」という参詣道が利用されました。起点となる慈尊院から金剛峯寺をつなぐこの参詣道は空海自身が切り開いたとされています。
その道中には一町ごと、一里ごとに※1、金剛峯寺の中心地である檀上伽藍からの距離を刻んだ「町石」が建てられています。参詣者はこの町石に礼拝をしながら高野山へ向かったとされています。町石は、もともと木製の卒塔婆※2であり、道標の役目を担っていました。それが現在の石製へと整備されたのは鎌倉時代です。このとき、高野山の僧侶の声掛けにより、皇室や武士、庶民らの寄附によって整備が実現しました。この町石の大部分は、整備当初の位置のまま現存しており、当時の面影を残しています。
また、高野山から熊野本宮大社へと向かう参詣道も存在します。その道「熊野参詣道小辺路」は2つの聖地を最短距離である約70kmで結んでいます。ただし、1000m級の峠越えが3回もあるため、3つの経路がある熊野参詣道のなかでも特に険しい経路とされています。
前回の「大峰奥駆道」、そして今回紹介した「熊野参詣道小辺路」によって、各地の霊場と「熊野三山」が結ばれていることを紹介しました。那智勝浦町に所在している世界遺産も「熊野三山」に含まれます。次回からは「熊野三山」について紹介します。

※1 一町は約109m、一里は36町で約4km
※2 お墓の後ろに並べて立てる縦長の木板

文・前田 愛佳(学芸員)

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