■れきしとくらし 第三十ニ回 本村南遺跡 その(1)
本村南(ほんむらみなみ)遺跡は、歴史民俗資料館の前の道を東に下った先にある、竹間沢字(あざ)南側の泉蔵院(せんぞういん)付近一帯に広がる遺跡です。昭和58年に実施された最初の発掘調査以降、これまでに計13地点で開発に伴う発掘調査が行われ、縄文~中世の遺構・遺物が確認されています。
○三芳と稲作について
竹間沢東地区は、柳瀬川(やなせがわ)の左岸に位置し、今から約55年前まで三芳で唯一の水田が広がっていました。竹間沢で行われていた稲作は、検地帳(けんちちょう)などの古文書の記録では、江戸時代までさかのぼって確認できますが、実際には弥生時代から稲作が行われていたと思われます。その証拠として、発掘調査が行われた地点のひとつで、イネ類の籾(もみ)跡がある弥生土器の底部片が発見されています。土器を作る途中で、表面に籾が付着し、そのまま土器が焼かれたことにより、籾は燃えてなくなってしまいましたが、その跡は残されたというものです。手のひらに収まるサイズの土器片に残る数ミリの跡によって、三芳で行われていた稲作がいつから行われていたかを知ることができた、大変貴重な資料です。この他にも、本村南遺跡では、弥生時代後期の竪穴住居(たてあなじゅうきょ)跡やV字型の溝跡、方形周溝墓(ほうけいしゅうこうぼ)と呼ばれる溝で囲まれた墓などが発見されています。
次号では、方形周溝墓とそこから出土した土器などについて紹介します。
問合せ:文化財保護課
【電話】258-6655
<この記事についてアンケートにご協力ください。>