■れきしとくらし 第二十五回 三芳町の遺跡と流域
人は水がないと、生きていけません。それは、昔の人々も同様で、各地で確認されている昔の人々がいた形跡=遺跡は、川などの流域周辺で多く確認されています。
三芳町でも、川や堀(ほり)などの流域は6条(じょう)(現存しないものも含む)あり、遺跡が多く確認されています。
(1)砂川(すながわ)流域(現在は雨水排水用の堀割)…地図(1)の周辺からは、旧石器時代の石器や焼石(やきいし)※、奈良・平安時代の木炭窯(もくたんがま)などの遺跡が調査で確認されています。加えて木炭窯のある遺跡近くには、ふじみ野市の大規模な製鉄(せいてつ)遺跡があり、そこへ木炭を供給していた可能性があります。
(2)富士見江川(ふじみえがわ)流域…地図(2)の周辺からは、県内でも数少ない旧石器時代の最古級の石器が発見されました。その他にも縄文時代の住居、奈良・平安時代の製鉄跡、白炭窯(はくたんがま)などの遺跡が調査で確認されています。
(3)唐沢堀(からさわぼり)流域…地図(3)の周辺からは、旧石器時代の石器や焼石、平安時代の須恵器窯(すえきがま)跡・工房跡などの遺跡が調査で確認され、須恵器の生産・流通があったことがわかります。
(4)柳瀬川(やなせがわ)流域…地図(4)の周辺からは、旧石器時代から古墳時代までの多くの時代の遺跡が調査で確認されています。中でも、方形周溝墓(ほうけいしゅうこうぼ)と呼ばれる弥生時代の地域の有力者のお墓が3基き発見されています。
(5)西部域の埋没谷(まいぼつだに)流域…埋没谷とは、かつて流れていた河川のことを言い、地図の(5)周辺で青の点線部分を指します。近年の調査により、旧石器時代当時には河川があったことが確認され、その周辺には、石器や焼石が多く発見されています。
次回からは、三芳町で調査された遺跡、発見された遺物などを紹介していきます。
※焼石…火にあたり赤く変色した石。調理に使ったと思われる。
三芳町遺跡地図は本紙をご覧ください。
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