■れきしとくらし 第二十九回 俣埜遺跡その(2)
前号では、俣埜(またの)遺跡で発見された製鉄遺構についてご紹介しました。今号では、同じ俣埜遺跡から発見された縄文時代の遺構・遺物について紹介します。
昭和52年度俣埜遺跡の発掘調査で縄文時代中期後半(約4千年前)の柄鏡型住居跡(えかがみがたじゅうきょあと)が発見されました。柄鏡形住居跡とは、竪穴式住居跡(たてあなしきじゅうきょあと)の形態のひとつで、円形の居住部の出入口にあたる部分が通路状に張り出しているのが特徴です。この平面の形が江戸時代の柄鏡に似ていることから「柄鏡形」と呼ばれています。
柄鏡形住居跡からは、煮炊きに使用した深鉢形土器(ふかばちがたどき)や持ち運びやすいように工夫された把手付土器(とってつきどき)、豊穣(ほうじょう)や子孫繁栄(しそんはんえい)の願いに使われたと思われる石棒(せきぼう)などが出土しています。
また張り出しの先端部分からは、当時の人が意図的に埋めた甕形土器(かめがたどき)(埋甕(うめがめ))も出土しています。埋甕とは、幼くして亡くなってしまった子供や胎盤(たいばん)などを納めた土器を人の出入りが多い場所に埋め、それをまたぐことによって、再生や子供の健やかな成長を願う習俗(しゅうぞく)に関連するものと考えられています。
柄鏡形住居跡は、関東・中部地方で多く確認されており、三芳町周辺でも、富士見市・ふじみ野市などでも確認されています。
問合せ:文化財保護課
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