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武蔵野線と三郷市 Musashino Line Misato City(1)

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埼玉県三郷市

昭和47年に市制施行をした三郷市、そして翌年の昭和48年に開通した武蔵野線。誕生からの半世紀を三郷市とともに走り続けてきた武蔵野線の歴史を、三郷市PR大使であり、鉄道ファンの藤富郷(ごう)さんをナビゲーターにひもといていきましょう。

■ナビゲーター三郷市PR大使藤富郷さんをご紹介!
昭和50年生まれの気象予報士、防災士、税理士。三郷市出身、在住で、平成30年に三郷市PR大使に就任。テレビをはじめとしたメディアに多数出演するほか、防災の講演活動やクラウド会計専門の税理士として多方面で活躍。鉄道ファン、ダムマニアとしても名を知られ、トークショーやラジオの出演など、精力的に活動中!

■武蔵野線の歴史
◆どうして武蔵野線ができたの?
○貨物列車のために作られた武蔵野線
武蔵野線は、元々は品川駅~新宿駅~田端駅間で山手線に並行して敷設されていた山手貨物線に替わって貨物列車を運行させるための路線として1920年代後半に計画されました。山手線の外側にもう一つの環状線を建設しようという構想でしたが、昭和14年から20年の第二次世界大戦の影響で計画は凍結。話が再び動き出したのは1950年代になってからでした。戦後になり、山手貨物線の貨物列車数が増加し、首都圏の貨物輸送を抜本的に改善する必要が出てきたことから、都心部を避けた内陸ルートとして整備が進められました。

○当時の「新しい」が詰まった路線として開通
武蔵野線開通時、全17駅中12駅に自動改札機が配置されました。当時は有人改札が主流であり、開通当初から導入されたのは関東の鉄道で武蔵野線が初めてでした。また、10駅に自動精算機、4駅に定期券発行機がそれぞれ配置されるなど、設備の近代化を早期に取り入れた路線でした。
また、当時は「踏切が一つもない路線」ということも大きな特徴でした。ちょうど武蔵野線が開通したころから、立体交差が主流になってきたこともあり、トンネルや高架、掘割※を中心に建設され、踏切がない路線として話題になりました。
※地面を掘って造る構造。

○貨物輸送主体から旅客輸送主体への転換
日本国有鉄道(国鉄)は、武蔵野線に貨物の輸送路線としての役割を期待していましたが、三郷市を含む沿線自治体は沿線開発への期待が高かったことから、旅客列車の運行が決まりました。運行当初は貨物列車の合間に旅客列車を走らせるようなダイヤでしたが、貨物輸送の形態の移り変わりやトラックによる輸送の増加、沿線の人口増加に伴い、次第に旅客列車が増えていきました。
また、開通時は新松戸駅~府中本町駅間での運行でしたが、昭和53年に新松戸駅~西船橋駅間が延伸されて現在の運行区間となり、昭和63年には京葉線の西船橋駅~市川塩浜駅間、南船橋駅~新木場駅間が開通し、一部列車が京葉線と直通運転するようになりました。平成2年には京葉線が東京駅まで延伸し、多くのかたが利用する路線となったのです。

実は、武蔵野線の終点は府中本町ではなく、その先の東海道線の鶴見まで伸びています。その区間は通称「武蔵野南線」と呼ばれ、貨物専用となっています。その他、常磐線や東北線などの交差部分に、短絡線※が作られているのも特徴です。これによって、貨物列車の向きを変えずにそのまま走る事が可能になり、時間短縮に繋がっています。最近は貨物列車だけでなく「しもうさ号」や臨時列車が、貨物専用線を使ってあちこちを結んでいます。機会があれば乗ってみてください。
それにしても、京葉線乗り入れによって「武蔵野線で東京駅に行けるのか!」と感動したあの頃から、もう30年以上にもなるんですね。
※鉄道において他の路線同士を接続するための線路。

◆武蔵野線、今と昔でどう違う?
開通当時から現在まで半世紀が経過し、武蔵野線も大きな変化を遂げてきました。皆さんが日頃から目にする運賃表や時刻表など、今と昔の状況をご紹介します。

○運賃
下の画像は、昭和48年4月15日発行の広報みさとに掲載された、開通時の運賃表です。当時は新松戸駅~府中本町駅間の17駅までで、初乗り運賃が30円でした。
現在は西船橋駅~府中本町駅間の26駅まで延伸しています。運賃はICカードで初乗り146円、三郷駅から府中本町駅までは945円になっています。

○時刻表
開通時は1時間に1~4本、1日で上下線ともに40本ずつ計80本の運行でした。
現在、平日は1時間に2~13本、1日に上り131本下り133本の計264本が運行しています。
また、三郷駅の1日あたりの平均乗降客数は、開通当時は3,000人ほどでしたが、令和4年度には24,746人にまで増加しています。
開通から50年が経ち、運行本数、乗降客数ともに増加し、発展してきました。今後の変化にも目が離せません。

東京から京浜東北線や常磐線で帰ると、武蔵野線が来るまでの待ち時間が長かったですね。そんな時は「駅そば」です。
南浦和駅や新松戸駅での待ち時間に両親から「駅そばを食べようか」と言われるのが嬉しくて。温かくておいしいそばを立って食べるのが大人になったかのような気持ちになれました。
待ち時間が長かったからこその楽しみがありました。

◆武蔵野線と2つの団地
武蔵野線の開通で市民の交通利便性は格段に向上。中でも「みさと団地」と「早稲田団地」は、建設計画の段から、まちづくりとして武蔵野線の存在が大きな役割を果たしました。

○みさと団地
昭和45年6月、日本住宅公団(現都市再生機構)が建設計画決定。人口約3万3,000人、94.5ヘクタールの規模を有する巨大団地は、武蔵野線の開通と同年の昭和48年に第一次入居が開始されました。周辺には保育所4か所、小学校5校、中学校2校や市役所・郵便局・警察の各出張所、商店街、医療機関などが整備され、「東洋一の団地」と称されました。

○早稲田団地
昭和45年、当時建設が進められていた三郷駅を中心に総面積約196.3ヘクタールに及ぶ「早稲田土地区画整理事業」が開始されました。そのエリア内に計画されたのが、2,400戸、22.2ヘクタールの早稲田団地。武蔵野線開通から7年後の昭和55年に第一次入居が開始され、周辺に建設された早稲田公園や文化会館は緑あふれる文化芸術の拠点になっています。

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