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【特集1】市長新春座談会 有言実行~なりたい自分になるために~(1)

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埼玉県上尾市

ことしの市長新春座談会は、ガールズケイリンの太田りゆ選手をお招きしました。自転車トラック競技者としての一面も持つ太田さんと競輪選手になったきっかけやパリ2024オリンピック代表選考に向けた抱負などを語り合いました。

■太田りゆ
プロフィル おおた・りゆ
1994年8月17日生まれ。芝川小学校、上平中学校出身。競輪学校在学中に、自転車トラック競技日本代表メンバーに選出。ブリヂストンサイクル(株)が運営する自転車競技チームに所属。2022アジア自転車競技選手権大会トラック優勝。

市長 明けましておめでとうございます。本日はガールズケイリンと自転車トラック競技日本代表の二刀流で活躍されている太田りゆ選手にお越しいただきました。
太田 明けましておめでとうございます。よろしくお願いします。
市長 太田さんは、小学2年生から上尾市で育ち、市内に本社があるブリヂストンサイクル(株)が運営する自転車競技チームに所属されています。今はパリ2024オリンピック内定に向けて練習に励まれていると聞いています。

■運動を楽しいと思える雰囲気作りを
市長 小学生のときに上尾市へ引っ越してこられたそうですね。住んでみて、上尾市はどのようなまちだと感じましたか。
太田 上尾シティハーフマラソンや市内全小学校が参加する上尾市小学校陸上競技大会などがあり、スポーツに力を入れているまちだなと感じました。また通っていた芝川小学校は、先生がスポーツにとても熱心な学校で、全学年合同で行う朝マラソン、高学年になると上尾市民駅伝競走大会に向けた練習があり「個人でやる」というよりも「みんなでやろう」という方針で、楽しく運動ができました。
市長 芝川小学校だと、現在キラリ☆あげおPR大使としても活動されている競歩の岡田久美子選手と同じ学校ですね。以前お話しした時、岡田さん自身も「みんなで団結して頑張ろうという雰囲気があって、楽しくスポーツができた」と話していました。
太田 岡田さんは3つ上の学年で、走るのがとても速かったので、朝マラソンのときによく追いかけていました。私の方が学年が下なので内側のコースを走っていましたが、それでも並走できた時はすごくうれしくて、より朝マラソンが好きになったのを覚えています。
市長 現在、市内の小中学校の体育の授業は、体力向上を目指すとともに、運動好きな児童生徒をどのように育てるかを大きなテーマとしています。太田さんや岡田さんが経験されたように、運動を楽しいと思える環境づくりが重要ですね。

■有言実行、私ならできる
市長 走ることが好きだったとのことですが、なぜ競輪を始めたのでしょうか。
太田 中学生から陸上を始め、大学でも続ける予定でした。しかし家庭の事情で陸上部へ入部することができず、市内のスポーツジムでアルバイトなどをしていました。仕事を探すにあたり、持ち前の運動神経を生かせて、家計を助けられる仕事をしたいという思いから、大学の先生や周りの人に相談して競輪選手になることを決意しました。
市長 未経験から始めることに不安などはありませんでしたか。
太田 大学の先生に言われて自転車競技用のトレーニング器具で脚力を測定したところ、当時の日本代表選手に匹敵する数値が出ました。なので、不安よりも「私ならできる」という自信の方が大きかったです。
市長 実際に自身が思い描いた未来を歩いていらっしゃいますね。まさに有言実行。なかなかできることではないと思います。
太田 母親が「頑張ると決めたなら、ちゃんとそれを頑張りなさい」と、幼い頃から言っていました。そういう親の影響もあるかもしれません。
市長 素晴らしい考えだと思います。幼少期から目標を持って意欲的に取り組むことは、成長につながり成功体験を得やすくなります。そのためには保護者や周囲の大人の理解や協力が必要となりますね。

■プレッシャーと挫折を乗り越えて
市長 太田さんは競輪選手として初めて行ったレースで、史上5人目となる、デビュー戦での完全優勝を果たしたそうですね。当時は相当なプレッシャーがあったのではないでしょうか。
太田 養成所で好成績を残したことや、在校中に自転車トラック競技の日本代表に選ばれたことから、当時は大きくメディアに取り上げていただきました。そのため、レースでは一番人気となり、プレッシャーはとても大きかったです。初めて負けたときは、たくさん厳しい言葉をもらいました。
市長 私も市民の皆さまから厳しいご意見をいただくことがありますが、それだけの期待を一身に背負っているのだと痛感します。
太田 そうですね。最初の頃は、それがとても苦しいと感じました。しかし、競輪選手として活動するうちに「無事に走って頑張って」と、温かい言葉をかけてくれる人が増え、いつの間にかプレッシャーを乗り越えていました。
市長 どんな時も、周囲の人の支えは大切ですよね。他に、支えられたなと感じたことはありますか。
太田 東京2020オリンピックで落選し、引退しようか悩んだ時がありました。ですが、実力はまだ伸びていましたし、いろいろな人に「パリ2024オリンピックを目指すべき」と応援していただいたこともあり、また頑張ろうと決めました。
市長 その後の2022アジア自転車競技選手権大会トラックでは、見事優勝されたそうですね。
太田 東京2020オリンピックが閉会してから「ローマは一日にして成らず」を座右の銘として練習に励みました。パリ2024オリンピックを見据えて、食事管理やトレーニングなどを行い臨んだ大会で優勝することができ、とてもうれしかったです。
市長 オリンピック代表選考での挫折を乗り越え、太田さんの努力、周囲の人の支えの結果が形となった大会だったのですね。

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