【「騎西城跡・騎西城武家屋敷跡」の遺跡が文化庁主催「発掘された日本列島2023」に選定】
日本列島には、歴史と文化を物語る約47万カ所の遺跡があり、年間約8千件の発掘調査が行われています。その成果を発信し、埋蔵文化財保護への理解を深めてもらうことを目的に、平成7年度から「発掘された日本列島」展が、文化庁により毎年開催されています。
そして「発掘された日本列島2023」展では、騎西城跡・騎西城武家屋敷跡が、全国的にも注目される10遺跡に選ばれ、「十六間筋兜(じゅうろっけんすじかぶと)」を含む53点の出土品が全国で巡回展示されました。
◆選定までの経緯
騎西城跡の発掘調査は、昭和55(1980)年に始まります。城郭の堀底で十六間筋兜が出土したのは、平成元(1989)年でした。その後30数年が経過し、兜が傷んだため、また、その学術的価値の再評価や移動展示に耐えられるようにするため、令和元年から4年かけて保存強化処理を行いました。その間、令和3年には、埼玉県立歴史と民俗の博物館で初の市外展示が実現しました。
そして、以前より出品を考えていた文化庁主催の「発掘された日本列島」展に、騎西城の戦国時代をテーマに応募。全国から応募がある中で、類例のない遺物が状態良く多数見つかった点が評価され、10遺跡の一つに選ばれました。
◆騎西城 History
騎西城は、戦国から江戸時代初期の城で、康正(こうしょう)元(1455)年、古河公方足利成氏(あしかがしげうじ)が、集結する関東管領(かんれい)方を攻略した戦いの舞台として、文献に初めて登場します。
戦国時代後期、小田原の北条氏と越後の上杉謙信との勢力争いの最前線となり、永禄(えいろく)6(1563)年、北条方の城として上杉謙信に攻略されています。
天正(てんしょう)18(1590)年に徳川家康が関東に入国し、松平氏・大久保氏が城主の頃は2万石の城となりましたが、江戸幕府の命で城主が不在となると、江戸時代初期の寛永(かんえい)9(1632)年に廃城となりました。
◆遺跡の特色と価値
上杉謙信方に「周囲を深い沼に囲まれ攻略は難しい」といわせた騎西城。遺跡となってからも、一定の深さを保っていた地下水が真空パックの役目となり、木製品や金属製品などの多種多様な遺物が良好な状態で見つかっています。
大規模な堀や兜、金の馬鎧(うまよろい)、金の前立(まえだて)など、戦(いくさ)に関する資料からは、勢力争いの最前線で戦う、きらびやかな戦国武将の姿がよみがえります。また、暮らしに関わる陶磁器類や漆器などの出土状況から、戦国から江戸時代初めまでの城郭における暮らしを探る上でも、重要な遺跡です。
【注目の遺物、その魅力に迫る─】
◆十六間筋兜(じゅうろっけんすじかぶと)(市指定有形文化財)
シコロ※1・吹返し※2が残る兜は、全国でも希少です。500年近く地中にあったため革は腐っていたものの、塗られていた黒漆の膜は残っていました。兜に銘がないため制作年・制作者は不明ですが、丸い鉢、祓立(はらいたて)※3・シコロ・鉢の制作技術から、戦国時代後期に2度の攻撃により騎西城を攻略した、敵方の上杉謙信方の武将が着用していたものと推定され、当時の激しい戦闘を物語る遺物の一つです。
※1 後頭部、首を守る兜の部位
※2 弓矢や刀から顔を守る兜の部位
※3 前立という兜の装飾を着ける部位
○嶋村英之さん 生涯学習課文化財担当
黒漆の膜は壊れやすいので、時間をかけて丁寧に掘り出しました。
◆障子堀(しょうじぼり)
騎西城武家屋敷跡の調査により見つかった障子堀は、堀底に障子の桟(さん)のような障害を設けたもので、城郭の周囲と城の南に外堀として2重に巡らされていました。城の五ノ丸の東と南にあたり、最大幅48mと全国最大級の規模です。障子堀の年代は、敵方の上杉謙信による騎西城攻略の頃と思われます。北条氏に関わる城に多く、小田原城(神奈川県)・山中城(静岡県)で確認され、市内では花崎城の発掘調査でも見つかっています。
◆蛭藻金(ひるもきん)・露金(つゆきん)・切金(きりきん)
城郭南のエリアでは金貨3点と、溶けた金属が付着した土器が出土しています。科学分析から、ここでは武具や装飾の素材となる合金を作っていたこと、全国の戦国大名の城や大都市で確認されている金属生産が、騎西城のような小規模な城でも行われていたことが分かりました。
蛭藻金と切金には、金の発色を良くする処理が行われています。
○露金・露金・切金
小判が流通する時代より前の金貨で、重さで価値を計る秤量(ひょうりょう)貨幣
※写真は、本紙7ページをご覧ください。
○坂本征男さん 生涯学習課文化財担当
3点そろっての出土は全国でも稀です。
◆その他戦に関する資料
外堀から馬鎧や火縄銃の部品の火縄ばさみが、外堀南から兜の前立が、調査区全域から弾丸が約100点出土しています。
遺跡内で広く戦が行われ、火縄銃による戦闘があったことがうかがわれます。
○馬鎧
馬の防具に縫い付けられた革の小札(こざね)140枚が折り重なって出土。革には黒漆が塗られ、表面には金箔が貼られています。
※写真は、本紙7ページをご覧ください。
◆騎西城配置図and遺物出土場所
騎西城案内板は、本紙7ページをご覧ください。
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