【騎西城跡・騎西城武家屋敷跡 遺跡 十六間筋兜等 特別展】
入場無料
◆全国を巡った騎西城の遺物が帰ってきます!
加須市の文化財・歴史に興味や関心を深めてもらえるように、「発掘された日本列島2023」展を終え、市に帰ってきた騎西城の遺物53点を特別に展示します。
○3月23日(土)
とき:13時30分~17時
ところ:パストラルかぞ 小ホールほか
内容:長直信氏(文化庁調査官)による講演※(市民の日記念式典内14時30分〜15時)
※式典の進行によっては、開始時間が前後する場合があります。
○3月24日(日)~29日(金)
とき:9時~17時(25日(月)休館)
ところ:キャッスルきさい 2階視聴覚室ほか
内容:
・発掘調査担当者による講演※(24日11時~12時)
・豊田勝彦氏(甲冑研究者)による講演※(24日13時30分~15時)
・兜出土状況などの映像上映、記念撮影コーナー、缶バッジの配布、郷土史料展示室の開館(23日から)
○共通内容
・十六間筋兜など出土品53点の展示
・パンフレット、クリアファイル配布
※講演の申込方法など、詳しくは市ホームページをご覧ください。(申込期限 3月13日(水))
◆研究者が語る展示の見どころ
○豊田勝彦(とよだかつひこ)さん 甲冑研究者 早稲田大学文学部元講師
十六間筋兜は、とても丁寧に制作されています。その鉢の16枚の鉄板を合わせる作業などは、工房の環境が整い厳密な規格の上に熟練の工人(こうじん)が制作したことを思わせます。
甲冑(かっちゅう)の部品は、しばしば中世の発掘現場から出土しますが、兜などがおおよそ使用当時のまま発見されるのは、武器武具の需要が高かった戦国時代の遺跡であっても極めて珍しいものです。その点で、資料的価値は計り知れません。
この兜は、兜の変遷など今後の甲冑研究の良好な事例となります。
○長直信(ちょうなおのぶ)さん 文化庁 文化財第二課 文化財調査官
当遺跡で目を引くのは、金色の輝きを放つ長さ4.8cmの小さな遺物です。これは「蛭藻金」と呼ばれる小判流通以前の金貨で、名称は細長い葉を持つ浮き草「蛭藻(蛭蓆(ひるむしろ))」の形状に由来します。手に持つとずしりと重く、近年の科学分析で極めて品質の高いものであることが確かめられています。全国47万カ所ある遺跡の中で、蛭藻金が出土した地点はわずか7地点にとどまります。
遺跡出土の金貨をどのように評価すべきか、まだ研究途上にありますが、遺跡を代表する出色(しゅっしょく)の遺物といえます。
【その他の城跡紹介】
◆花崎遺跡(花崎城跡)(花崎4-6)
花崎城は戦国時代に存在しました。羽生の木戸忠朝(ただとも)に攻められた記録があります。
発掘調査では、障子堀や弾丸・陶磁器・古銭などが見つかっています。城跡の一部は、花崎城山公園となっています。
◆鐘撞(かねつき)山(油井城跡)(油井ケ島927)
戦国時代の城跡で、文献によると「騎西城とよしみを通じていた」とあります。
鐘撞山の名前は、永禄6(1563)年に上杉謙信の兵がこの地に押し寄せたとき、騎西城へ知らせるため鐘を撞き鳴らしたという伝承によります。
◆種垂(たなだれ)城跡(上種足456-2)
種足は、古くは「種垂」と書きました。約500年前の室町時代に上種足地区に存在した種垂城は、騎西城主小田顕家(あきいえ)が、養子に城を譲った後、隠居した城とされています。
発掘調査では、室町時代の陶磁器や漆椀などが見つかっています。周辺には、百石(ひゃっこく)・シロンチなどの地名が残っています。
◆もっと知りたい!騎西城跡・騎西城武家屋敷跡
・江戸時代初期の寛永4(1627)年、大久保氏が城主の頃、玉敷神社(元ノ久伊豆神社)が現在の場所へ移され、「城下町騎西」が整備され、今に続く町の基礎が造られました。現在も、多くの寺社が当時と同じ位置に残っています。
・かつて多くの戦の舞台となった騎西城は、後の区画整理や宅地造成によって大きく変わり、当時の歴史を伝える遺跡は、騎西城土塁跡だけとなっています。
・現在の郷土史料展示室(騎西城)は、旧騎西町の町制施行20周年を記念して建てられ、婦人会館として昭和50(1975)年に開館しました。実際の騎西城は、土塁や塀を巡らせた平屋の館でしたが、天守を持つ城として建築されました。
▽まだまだある加須市の歴史と文化
加須インターネット博物館
※二次元コードは、本紙9ページをご覧ください。
問合せ:生涯学習課
【電話】0480-62-1223
<この記事についてアンケートにご協力ください。>