大宮台地の北部に位置する北本市は、とても遺跡の多いまち。人々は旧石器時代からこの地に暮らし、縄文時代には各所でムラが営まれました。中でもデーノタメ遺跡は全国に知られた縄文時代の遺跡です。全5回の連載で、国指定史跡を目指すこの遺跡の魅力に迫ります。
■花粉は語る
デーノタメ遺跡の特徴である低地遺跡の魅力は、泥炭層の中に豊富な情報を残していることです。平成20年の調査では、まず土中の花粉を分析しました。その結果、縄文時代中期にムラが営まれると、低地にはクルミ林が、台地上にはクリやドングリの林が広がり、ウルシの栽培も行われていたようです。また、後期になると気候の寒冷化に伴い、トチノキ林が急速に拡大することもわかってきました。
花粉はムラの植生とその変化を明確に物語ってくれるのです。
■クルミ塚の不思議
低地の調査では、さまざまな遺構が確認される中、特に注目されるのが貝塚ならぬクルミ塚です。クルミ塚は6か所点在し、そこで発見されたクルミ核(殻)の多くは人が石で割ったものでした。明らかに縄文人が食べた痕跡です。また、クルミ塚の土を洗い出すと、ニワトコ・マタタビ属・クワ・ブドウ属など、多様なベリー類の種子を多く含んでいました。縄文人が酒やシロップを作っていた可能性がうかがえます。
このため、クルミ塚は縄文人の食や植物利用を知る上で、とても重要な情報源といえるのです。
■縄文人のマメ栽培
クルミ塚のうち、2号クルミ塚では土器片を含んでいましたが、そのうちの一片には、なんとダイズの圧痕(あっこん)が認められました。長さは1・2センチで、ダイズの野生種であるツルマメの倍以上の大きさです。この圧痕は5千年前の関東で、ダイズを栽培していたことを証明する初めての事例(※)として新聞報道されました。
実は、クルミ塚では炭化したアズキの種子も複数見つかっています。もしかしたら、縄文人が納豆を食べていたかもしれないと考えると、何だか親しみがわいてきますね。
※野生種では見られない大きさで、栽培ダイズに近いサイズであることから、縄文人の手によりダイズの栽培が行われていたと考えられる。
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