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特集 どんぐりピアノの物語

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埼玉県宮代町

75年の月日が流れても、今なお美しい音色を奏でる須賀小学校のアップライトピアノ。このピアノはどんな物語を見てきたのでしょうか。

須賀小学校には75年前に購入した「どんぐりピアノ」とよばれる古いアップライトピアノが今も大事に保管されています。このピアノは、戦後何年もたたない頃、子どもたちと地域の皆さんがどんぐりを集めて、それをお金に換えて購入したものです。現在、地域の皆さんが新しい須賀小学校、地域拠点を考えるため話し合いを行っています。「どんぐりピアノ」の物語は学校と地域の取組みが、時代が変わっても共通の思いに支えられていることを教えてくれます。

■子どもたちは夢を描いた
昭和24年、須賀小学校の子どもたちは広域の合唱コンクールに参加し、そこで使われたピアノの音に驚きました。いつも学校で伴奏に使っているオルガンとは、まったく音色の美しさも力強さも違っていたからです。
私たちの小学校にもピアノが欲しい、ピアノの伴奏で合唱がしたい。子どもたちの間からそんな声がおこりました。しかし、終戦から4年、日本はまだ貧しく、その日の生活でさえ大変な時代です。ピアノを買うのには、大卒初任給の3年分のお金(15万円)が必要でした。
しかし子どもたちは、ピアノで合唱をしたい、と夢見るようになりました。そして、合唱を指導する先生や校長先生の強い後押しもあり、みんなで集めたどんぐりを売り、ピアノを購入することになりました。500人ほどの全校児童がどんぐりを集めて学校に持ってきました。
「母親に古い着物で袋を縫ってもらい、そこにどんぐりを詰めて学校に持って行った」と国納に住む男性は当時をなつかしみます。当時はどの家にも屋敷林があり、どんぐりが落ちていたと教えてくれました。

■地域の人たちも一緒だった
どんぐり集めは、いつしか学校だけでなく、地域全体をまきこんでいきました。地域のおとなたちの中には、俵にどんぐりをつめて学校に届ける人もありました。子どもたちは、どんぐりだけでなく、田んぼに出てのイナゴとり、茶の実拾いも行いました。その結果、8か月で3万5千円が集まりました。
しかし、購入予定額の3分の1にもなりません。そんな時、子どもたちや地域の人たちの様子を見ていた須賀村(当時)や議会が残りの分のお金を出すことを決定しました。
こうして、年も明けた昭和25年、ピアノはやってきました。その時からピアノは須賀小学校で、毎日しらべを奏でました。そのピアノはいつしか、「どんぐりピアノ」と呼ばれるようになり、現在でも小学校の建物の中にあります。いまでも鍵盤を叩けば、しっかりとした美しい音を奏でます。

◇昭和24年当時のモノの値段(昭和24年、25年)
牛乳1本12円、郵便はがき2円、新聞朝夕刊月額70円、映画館入場料65円、理髪料59円、大学卒国家公務員初任給4,223円
※総務省統計局資料等より

■それから58年後のできごと
それから58年が過ぎた平成19年、須賀中学校に静岡県に住む高齢の女性から連絡が入ります。グランドピアノを2台、寄付したい、という申し出でした。
この女性は昭和24年に合唱コンクールに出場し、どんぐりを集め、ピアノを買うことを発案した1人でした。大学を卒業後、静岡県内の大学で教えるかたわら、随筆家としても活躍、また、静岡県内の合唱団体でリーダー的な役割を果たした窪田(旧姓渡辺)信子さんです。
「ある日、白い布をかぶった黒光りのピアノがトラックに乗って、校庭についに現れた」と自著にその時の感動を書いています。同じ著作の中では、中学校の合唱部が今も好成績をおさめていることを誇らしげに綴っています。
「どんぐりピアノ」は、とても長い物語をつむいでいます。

◇岩上孔昭さん(元宮代町文化財保護委員)
ピアノの購入後、須賀小学校では須賀村(当時)の皆さんに感謝する音楽会を開催しました。現在、須賀小学校が「校内音楽会」に地域や家庭の方を招いているのは、この時の伝統が続いているからです。学校と子どもたち、学校と家庭、地域が強い絆で結ばれているのは素晴らしいことです。

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