■第38回 城山貝塚
貝塚は昔の人が食べたあとの貝殻がまとまって捨てられている場所です。
縄文時代前期頃(約7,000年前)は、平均気温が今より2℃ほど高く、極地の氷解などで海面が上昇し川越や渡良瀬遊水池あたりの関東平野奥にまで海が広がっていました。これを「縄文海進」といい、志木周辺も当時の沿岸部に位置し、城山貝塚が形成されました。
城山貝塚は志木第三小学校から志木中学校におりる坂道の途中、かつて海だった柳瀬川低地を臨む台地の突端にあります。本格的な発掘調査は行われていませんが、ヤマトシジミ、マガキ、ハマグリなど11種の貝類が確認されています。
周辺から縄文時代前期の住居跡も発見されており、この貝塚も同時期のものと推定されています。
土壌が酸性の日本では有機物は分解されて残りにくいのですが、貝塚では貝のカルシウム成分によって魚骨や獣骨なども残ります。このことから貝塚は当時の食生活を知ることができる宝の山であり、また縄文人が定住していたことの証ともなります。
貝塚からは埋葬されたような人骨や石器、土器、土偶、装身具などもよく出土し、近年の研究では、貝塚は単なるゴミ捨て場ではなく、役目を終えた人やモノの「送りの場」「再生を願う場」といった祭祀の場だったのでは、という指摘もされています。
※縄文時代前期城山貝塚の「城山」はこのあたりの字名(あざめい)です
□城山貝塚
所在地:志木市柏町3丁目
柳瀬川駅から徒歩20分
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