■第46回 慶應義塾志木高等学校、その土地利用の変遷
県下最高の偏差値76を誇る慶應義塾志木高等学校ですが、昭和31年までは慶應農高と呼ばれ、校門は今の埼玉りそな銀行付近にありました。当時は、現敷地にプラスして慶応通りを含み、現在のマンション群とユリノ木通りまでも慶應農高とし、広大な敷地の中に畑がありました。
電力王として名を馳(は)せた松永安左エ門(まつながやすざえもん)は昭和12年、東邦電力の創立50周年記念事業として東邦産業研究所を設立し、昭和15年に志木駅前5万坪に東京試験所(前述の土地)を完成させました。東京試験所には日本有数の学者、研究者、技術者を揃(そろ)え、最盛期の研究者、技術者は600人を超えるなど、全国でも有数の金属、微生物、電気、航空軽金属などの実験施設を有する民間研究機関となりました。
戦後は、軍事関係などからの委嘱の研究もなくなったため、松永安左エ門は母校の慶應にすべての施設を農工一如(いちにょ)の学園、東邦産業学園として寄贈し、昭和22年に産学共同の東邦産業大学を設立しました。昭和23年に慶應義塾獣医畜産専門学校が移転(昭和24年廃校)し、同年4月から長年の夢であった慶應義塾農業高校が発足しました(その後は前述のとおり)。
現在の慶應義塾志木高等学校では、10月中旬に収穫祭(文化祭)が開催され、自由に校内の出入りができるほか、前身が農業高校だった名残を学園祭の冠にしているところからも歴史が感じられます。
野球グラウンド脇にある、野火止用水の支流跡を探すのも趣があるため、収穫祭を見学がてら改めて敷地内を散策するのも楽しみのひとつかもしれません。
□慶應義塾志木高等学校
所在地:本町4-14-1
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