■東耕地(ひがしこうち)3号墳出土品(ごうふんしゅつどひん)
平成19(2007)年度、東耕地3号墳の発掘調査(はっくつちょうさ)で、鉄製(てつせい)の短甲(たんこう)や武器類(ぶきるい)が出土しました。発掘調査による鉄製短甲の出土は、埼玉県で初めてのことであり、たいへんな注目(ちゅうもく)を集めました。
短甲とは古代日本(こだいにほん)で使用された鎧(よろい)の一種(いっしゅ)で、肩(かた)から腰(こし)にかけての胴体(どうたい)を防御(ぼうぎょ)するものです。東耕地3号墳から出土した短甲は、薄(うす)い鉄板(てっぱん)を組み合わせ、鉄鋲(てつびょう)で留(と)めて作られた横矧板鋲留短甲(よこはぎいたびょうどめたんこう)と呼(よ)ばれるものです。そのほか、大刀(たち)、剣(つるぎ)、刀子(とうす)、直刃鎌(ちょくばがま)、矛(ほこ)、鉄鏃(てつぞく)などの武器類と土師器(はじき)の壺(つぼ)と須恵器(すえき)の破片(はへん)などの土器が出土しました。
3世紀中頃(せいきなかごろ)から7世紀代までを古墳(こふん)時代と呼び、近畿(きんき)地方を中心にヤマト王権(おうけん)が形成(けいせい)されていました。5世紀になると鉄製の短甲は、ヤマト王権(おうけん)が生産(せいさん)・管理(かんり)し、地方(ちほう)の有力豪族(ゆうりょくごうぞく)と軍事的(ぐんじてき)なつながりを持つために供給(きょうきゅう)されるようになります。短甲の出土から、東耕地3号墳に葬(ほうむ)られた人物(じんぶつ)が、ヤマト王権と結びつきを持つ有力者(ゆうりょくしゃ)であったことが分かるのです。
・「鉄製横矧板鋲留短甲」
・「出土状況」
短甲北側には大刀、南側には剣が、いずれも切先を西に向けて出土しています。
・「東耕地3号墳」
直径25m(墳丘径19m)、高さ1.6mの円墳で、造られたのは、5世紀後半頃と考えられます。
※埋蔵文化財センターに展示中です。
問合せ:埋蔵文化財(まいぞうぶんかざい)センター
【電話】27–0333【FAX】27–0334
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