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文化財を訪ねてー見てある記ー

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埼玉県桶川市

■明星院文書の新たな発見
「古文書(こもんじょ)」とは、江戸時代以前に書き記された公文書や私文書で、過去の時代を考証する史料のことです。古文書に書かれている字は、一般的に文字をつなげて書く草書体(そうしょたい)で書かれていて、「くずし字」とも呼ばれています。古文書を丁寧に読み解くことで、桶川の歴史の新たな一側面が見えてきます。今回は、こうして見えてきた新たな発見をご紹介します。
市内倉田の明星院には数多くの古文書が伝えられています。このうち戦国時代から近世初頭にかけての12点が「明星院文書」として埼玉県の有形文化財に指定されています。この度、明星院様のご協力のもと、同院に保管されている「御ご朱印箱(しゅいんばこ)」に納められていた11点の古文書の調査を行いました。
これらは、さいたま市見沼区にある多聞院(たもんいん)住職が書いたものと推測され、そのうち7点は明星院文書の「写(うつし)」だと分かりました。江戸時代に写されたものと思われますが、詳細な年代は不明です。
7点の「写」の中に、天正十九年六月六日付の「伊奈忠次手形(いなただつぐてがた)」がありました。伊奈忠次は、徳川家康の家臣であり、代官頭(だいかんがしら)として活躍した人物です。忠次が現在の伊奈町小室を所領することになったことから、領内に所在した有力寺院である無量寺閼伽井坊(むりょうじあかいぼう)は領地を明け渡し、明星院へと移りました。この時、当時未開発地であった「小針宮山(こばりみややま)」と「春日立野(かすがたての)」という二か所を田に開発すれば、無量寺閼伽井坊に与えるという約束が書かれたものが「伊奈忠次手形」です。これまでの調査では、この二か所の具体的な場所が不明でした。
残りの4点の古文書の中に、「伊奈忠次手形」の「写」に付ふ箋せんのようにのり付けされていたものと考えられる小さな紙片がありました。驚いたことに、この小さな紙片に新たな発見が記されていました。
小さな紙片を解読すると、これまで具体的な場所が分からなかった「小針宮山」と「春日立野」のことが記されていて、「小針宮山」は、市内小針領家の氷川諏訪神社敷地にあったことや「春日立野」は、伊奈町の内宿(うちじゅく)・羽貫(はぬき)両村の共有地である入会地(いりあいち)で、高二十四石二斗二升八合の田畑に開発されていたことが分かりました。
古文書の解読は地道な作業ですが、地域の魅力ある歴史を明らかにするため、今後も古文書の調査を継続的に行いたいと思います。
身の回りにある古い文書や記録類など、詳しく知りたいことがあれば、ぜひ文化財課まで情報をお寄せください。

問合せ:文化財課
【電話】786-4009

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