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歴史散歩 第355回

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埼玉県毛呂山町

■「龍」の名を持つ毛呂山の山
令和6年の干支の辰(たつ)(龍(りゅう))は、十二支のなかで唯一空想上の動物です。その神秘的な姿は多くの人を魅了し、彫刻や物語や神話などの創作物とともに、雄大な地形を「龍」の姿に見立てて地名につけることで、現実世界に「龍」を投影しようとしました。
毛呂山町にも、「龍」を冠する山が2つあります。阿諏訪地区の「竜ヶ谷山(りゅうがいさん)」と、出雲伊波比(いずもいわい)神社が鎮座(ちんざ)する「臥龍山(がりゅうさん)」です。
竜ヶ谷山は、外秩父山地から東に突き出た尾根(おね)の突端(とったん)に位置する標高203mの山です。竜ヶ谷山という山の名のいわれについては定かではありませんが、かつて山頂から中腹にかけて存在した山城(やまじろ)(龍谷山城)にちなみ「要害山(ようがいさん)」と呼ばれていた呼び名が変容した、と考える説があります。山城が築かれた竜ヶ谷山とその周囲は、急な斜面と谷が入り組む複雑な地形をしており、起伏に富んだ山の形を「龍」に見立てたのかもしれません。
出雲伊波比神社が建つ「臥龍山」も、山形(さんけい)が臥(ふ)せた「龍」の姿を想起させることから、この名で呼ばれるようになった山です。
出雲伊波比神社にまつわる縁起(えんぎ)をまとめた「臥龍山宮伝記(がりゅうさんきゅうでんき)」には、古代の英雄倭建命(やまとたけるのみこと)(日本武尊)と臥龍山にまつわる次のようなエピソードが登場します。
朝廷の命により、東征(とうせい)に赴いた倭建命は、この地で敵の襲撃に遭(あ)い、窮地(きゅうち)に陥(おちい)ります。不利な戦いのなか倭建命が神々に祈ると、清水で身を清め、軍勢を整え直し、雷鳴のごとく太鼓を打って、笛を吹き鳴らすように、とお告げを受けました。倭建命がお告げに従うと、空は暗くなり、雲間(くもま)から巨大な龍が現れ、次々と敵を打ち倒していき、龍を恐れた敵の軍勢は戦意を失い、降伏しました。
荒れ狂う龍に対して、倭建命が「臥せよ」と唱えたところ、龍はたちまち地に臥して山となってしまったことから、龍が臥す山「臥龍山」と名付けられました。
伝説がもととなった臥龍山の名は、その後人々の間で親しまれるようになり、江戸時代には「臥龍山」という石の扁額(へんがく)が神社に掲げられていた時期もありました。
干支の「龍」の年は、1964年の東京オリンピックや東海道新幹線の開通、1988年の瀬戸大橋の開通といった生活に大きな変化をもたらす出来事が起きる年と言われています。龍の名を冠する山で、天に昇る龍を想像しながら、一年の飛躍を願ってみてはいかがでしょうか。

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