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歴史散歩 第356回

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埼玉県毛呂山町

町内最大の板碑(いたび) 嘉元(かげん)の板碑

県道飯能・寄居線の西側、葛貫地内の道路端にそそり立つ嘉元の板碑。高さ3・4メートル、上幅60センチ、下幅75センチは町内最大の大きさで、その姿に圧倒されます。
板碑は板石塔婆(いたいしとうば)と呼ばれ、鎌倉時代以降、ほぼ中世を通して全国的に造立(ぞうりゅう)された石造物で、板状の石で作られた卒塔婆(そとば)(故人を供養(くよう)するための細長い形をした板)のことです。なかでも、埼玉県を中心に関東地方に分布している板碑は、凹凸(おうとつ)が少なくて加工しやすく、美的にも優れている岩石を使用しています。埼玉県内だけでも2万基を超える板碑が存在すると言われています。
嘉元の板碑は、上部に阿弥陀如来(あみだにょらい)を表す一文字の梵字(ぼんじ)が大きく刻まれ、すぐ下の蓮座(れんざ)の下には、「光明遍照(こうみょうへんじょう) 十方世界(じっぽうせかい) 念仏衆生(ねんぶつしゅじょう) 摂取不捨(せっしゅふしゃ)」の4行の経文(きょうもん)が刻まれています。左右には「過去・現在」、中央には「嘉元四年二月三日時正敬白(じしょうけいはく)」と刻まれています。他にも右の「過去」の下に「尚蓮(しょうれん)・行蓮(ぎょうれん)・西阿(せいあ)・蓮位(れんい)」、左の「現在」の下に「景重(かげしげ)・了阿(りょうあ)」などと多数の名前や法名(ほうみょう)が小文字で刻まれています。町内で発見された板碑に、多数の名前や法名が刻まれた板碑はほとんど確認されておらず、大変珍しい板碑と言えます。
江戸時代後期に編纂(へんさん)された「新編武蔵風土記稿(しんぺんむさしふどきこう)」の葛貫村と大谷木村の項でも、嘉元の板碑について紹介されています。嘉元の板碑の造立された場所が「小名大石佛(こなおおいしぼとけ)」と記されていて、地域に暮らす人々の信仰を昔から集めていた場所であることがうかがえます。
また、大谷木地内にある宝福寺(ほうふくじ)は元々、嘉元の板碑の場所にあり、後年に移転したという伝承が記されています。宝福寺でも板碑が十数基ほど確認され、板碑が盛んに造られた1300年代後半のものも含まれています。
嘉元の板碑が造立された嘉元4年は西暦1306年で、「二月三日時正」は旧暦の春のお彼岸の中日(ちゅうにち)です。「過去・現在」と刻まれていることから、故人の冥福(めいふく)と、現代を生きる人が死後に極楽浄土(ごくらくじょうど)に行けるように、お彼岸に板碑を造立したのでしょう。

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